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時折、話し相手が欲しくなる

たまに話し相手が欲しくなる。 話したい具体的な内容があるわけではないけれど、人との繋がりが欲しくなる。 何でもない、どうでもいい雑談ができる相手が欲しくなる。 そんな状態になって、話し相手を欲してもいないのが自分の現状。 1.会話をしたくなっても、家族とは話したくはない ​会話がしたくなったとしても、家族と話したいわけではない。 母との会話は「働かないの?」「将来どうするの?」といった、取り調べのようなものばかり。 父は夕飯時、テレビに映ったものを見て「H、これ知っているか?」と聞いてくる。 それも、何回も聞いたことのある話ばかりで鬱陶しい。 例えば「酒蔵を見学するときは『朝ごはんに納豆を食べたか』って聞かれるんだってよ。納豆の菌が酒造りに悪影響を与えるかららしいぞ」という話。 これは体感で1万回くらいは聞いている。 三兄とは、そもそも会話をしない。 何がきっかけで喧嘩になるかわからないし、そもそも話したくない。 これと同じ理由で、祖母とも話さない。 一緒に住んでいる家族の中で、三兄と祖母のことは嫌い。 「いなくなれば良いのに」と日々思っている。 2.私には「友達」と呼べる人がいない 小・中学生時代は引きこもり不登校だったため、人付き合いなんてしてこなかった。 高校生時代は、青春なんかより「勉強第一」を目標に学校に通っていたため、人付き合いを避けていた。 当時は友達や話し相手が欲しいなんて思っていなかった。 こんな学生時代を送ってきたため、今、私には友達と呼べる人がいない。 ​今は人と話したいと思っている。 けれど、長い間人付き合いをしてこなかったせいで、いざ対話をするとなると「めんどくさい」と思ってしまうこともある。 話し相手が欲しくて配信を始めたが、結局人が来ることはほぼなく、一人喋りを1時間続けているだけの配信がメインとなっている。 一人喋りは楽しいが、本来配信を始めた理由である「誰かとの会話」をしたいとも思う。 けれどコメントをもらえない、 どうすればコメントをもらえるのかもわからないのが現実。 今まで、自分は孤独が性に合っている人間だと思っていた。 しかし、それはただの強がりだったのかもしれない。 3.理想の友達 ​もし話し相手ができたとしても、毎日話しかけられるのはめんどくさいと思ってしまう。 かといって、まったく連絡がないのも寂しい。 正直、自分でもど...

顔出しは自信の証

「インターネットに自身の顔を出している奴は、自分に自信がある」 これは私の持論であり、あるいは「偏見」と呼ぶべきものかもしれない。 なぜそう思うのか、その理由を書いてみようと思います。 1.「顔出し=自信」という持論 私が言う「自信」とは、単に「美人である」とか「容姿が整っている」といった話ではない。 ​たとえ世間一般でいう不細工であったとしても、それを自分の「アイデンティティ」として受容し、閲覧数や知名度の獲得に有利に働くと確信しているからこそ顔を出す。 それもまた一つの自信の形だと思う。 例えば、人より頭が長いことにコンプレックスを抱いている男がいるとする。 本人は面長であることを恥ずかしいと思っているかもしれない。 しかし、その容姿にしかできないこともあると気づければ、それを利用しようと考える。 ​「この頭の長さを活かして、フランケンシュタインのコスプレをしよう」といった具合に。 これこそが、私の考える「顔出し=自信」の正体である。 2.自信というよりはナルシスト ​「自信がある」と言えば聞こえはいいが、悪く言えば「ナルシスト」だということだ。 いっそ、「インターネットに顔を晒している奴らは、漏れなくナルシストである」と定義を改めてもいい。 YouTubeを見れば、容姿が整っているというだけで初投稿から数十万再生を叩き出す者がいる。 奴らは自分の武器の使い方を熟知している「賢しい連中」だ。 こうした動画は、興味がなくとも「おすすめ」に流れてくる。 「これほど再生されているなら中身も面白いのだろう」と期待して開いてみても、そこにあるのは自慢の容姿を際立たせるアングルだけで、動画の内容は空っぽで何もない。 ​また、よく見かけるのが「うつ病」や「病みがち」といった、こちらの同情や疑心を煽るようなタイトルをつけ、サムネイルに自身のキメ顔を晒している連中だ。 奴らのことは「ビジネス精神弱者」と呼ぶべきだろう。 そもそも、本当にメンタルを病んでいる人間が、不特定多数に自分の顔を晒せるだろうか。 精神的に追い込まれていれば、自分に対して否定的になり、とても顔を出す勇気など湧かないはずだ。 これは私の経験からも断言できる。 むしろ潔く「私の顔、整いすぎじゃない?」とか言っている方が、まだ嫌味がない。 クリックするかと言われれば、私はしないけれど。 3.承認欲求という依存 しか...

なぜ私はダメ人間と名乗るのか

「ダメ人間H」 なぜ私はそう名乗るのか。 長らく人類最大の謎として君臨し続けるその疑問へ、今回は震える手でメスを入れる。 1.名乗る理由 私が「ダメ人間H」と名乗り始めたのは、ブログを開設してから 。 当初は単に「H」と名乗っていたが、それだけでは覚えてもらいにくいと考え、何か付け加えることにした。 「引きこもりH」や「無職H」といった候補も浮かんだが、将来もし状況が変わったときに名前を変更するのは手間だと思った。 「外出ばっかりしてんのに引きこもりっておかしいじゃん」「収入あんのに無職って詐欺じゃん」などと突っ込まれる未来が、見聞色の覇気で見えたので 、未来永劫変えずに済むような二つ名を考えた。 ​そこで行き着いたのが、私を表すのに最もぴったりで、自認とも一致する「ダメ人間」という言葉だった。 実はブログ名も当初は「H」だったが、検索への引っ掛かりにくさを懸念し、馴染みのある自称をそのまま使って「ダメ人間Hのブログ」という安直かつ分かりやすい名前に落ち着いた。 「ダメ人間H」と検索すれば出てくるが、身の程知らずな理想を言えば、Wikipediaの「H」のページの次くらいに私のブログが表示されるようになってほしい。 切にそう願っている。 2.「悲観的」という指摘に対して この名を名乗っていると、配信などで来て早々、人が話している話を聞かずに第一印象(名前の「引きこもり」やサムネイルの「ダメ人間」)だけを見て、初見の野郎やアマどもに「そんなに悲観的になるな」とか、私のことをよく知りもしないくせに「ダメ人間なんかじゃないよ」と言われることがある。 そのたびに私は、「悲観しているわけではありません、これが私なのです」という決まりの定型文を、感情ゼロで口から発する。 ちなみに、こうした初見どもは定型文を聞くと思っていた配信者と違ったのか、すぐにいなくなり二度と私の配信に来ることはない。 ​正直なところ、本人が納得して名乗っているのだから、外からとやかく言われる筋合いはないと思っている。 確かに、ブログの内容は暗い話ばかりなので「悲観的」と捉えられるのも無理はない。 しかし、私を深く知る人なら、これが卑屈になっているわけではなく、ただ「名乗っているだけ」なのだと分かるはず。 私にとってはこれがデフォルトの状態である。 だからこそ「悲観的になるな」と言われても、「どうすればいい...

身長2m欲しい

自分の身長にコンプレックスがあるわけではないが、「身長が2mあったら良いのになぁ」と思うことがある。 私は日本人成人男性の平均身長もない人間だ。 2mあったからといって、何かスポーツをしたいとかそういったことはない。 体や生活に支障が出るとなんとなくわかってはいるが、「身長が高かったら人生楽しそうだな」と表面的な考えがある。 今回は、私 (H) が日頃から感じている「身長についての、本当にどうでもいいお話」を話そうと思います。 1.Hが考える高身長、低身長によるメリット、デメリット Hが考える高身長であるメリット: ・高いところに手が届く。 ・人混みで周りの人より目線が高い。 ・歩いていたら他人が道を開けてくれそう。 ・性格がナヨナヨしていても、体の大きさで(物理的にも)下に見られない。 Hが考える高身長であるデメリット: ・狭い場所へのアクセスの悪さ。 ・何かに頭をぶつけやすくなる。 ・屈むことが多くなり腰を悪くしやすくなる。 ・威圧的に見られる(特に自分なんかはデフォルトが仏頂面なので、もしも体が大きかったらより恐がられるかもしれない) ・衣服の値段が高い。 ・部屋が狭く感じる。 逆に、低身長であるメリット、デメリットについても考えてみた。 Hが考える低身長であるメリット: ・親しみやすく見られる。 ・実年齢より若く見られる。 ・体が軽くて動きやすい。 ・骨折リスク低減。 ・部屋を広く使える。 ・かくれんぼや鬼ごっこにおいて、狭所へのアクセスという戦略的優位性がある。 Hが考える低身長であるデメリット: ・パワー不足。 ・恋愛市場での偏見。 ・高いところに手が届かない。 ・人混みでの見通しの悪さ。 ・見下される(物理的にも) こうして書き出すと、理想は「某少年漫画の主人公」のように、状況に応じて伸び縮みする体なのかもしれない。 元々かなづちの私にとって、海に入れない副作用など影響ないし。 2.残念ながら2mには届きそうにないH 生活態度、食生活、遺伝、これらの現状を見ても身長が2mには届きそうにない。 決まった時間ではなく、寝たいときに寝て、運動はせず、食欲がなければ1日1食、下手したら1日0食。 両親2人とも身長が高くなく、 体に何か異常が起きない限り私の身長が2mに届くことはない。 成長期入り始めの10歳頃に消化器系の病気により食欲が減ったのは悔やまれる。 ...

共感は時に人を傷つける

両親や行政の相談員に自分の現状を話すと、共感されることがある。 しかし、その共感は私にとってマイナスにしか受け入れられない。 今回は、私が感じた「共感」という優しさの裏に潜む、ある種の「凶器性」についてお話ししようと思います。 1.両親、相談員による共感 例えば、視界に黒い点が見えることを話すと、父は「父さんもよく目を瞑るとアメーバみたいなのが見えるよ」と返される。 自分もそれは見えるが、私が言っていることとは違う。 私が言っているのは、ふとした拍子に視界の端の壁に、ハエのような小さな黒い点が見えるが、 瞬きをすると消えること。 母との会話でも 「何に対してもやる気が起きない」と漏らすと、 「お母さんもそういう時あったよ」 と言う。 何に対しても、 「私たちもそういう時あった」 「そのうち変わるよ」 「誰しもそういう考えあるよ」 「同じ同じ」と返される。 これらが優しさからなのか、私の不安を取り除きたい一心なのかはわからない。 けれど、無理に共感して「Hは普通だよ」と思い込ませようとしているように思えてしまう。 行政の相談員との会話も、ただひたすら共感されるだけで1時間が過ぎていく。 三兄との相部屋が辛いと漏らせば、 「一人部屋じゃないとなかなか気が休まらないですよね。Hさん、早く一人部屋になれるといいですね。そうすれば何か良くなるかもしれませんし」と返ってくる。 相談員の態度や口調が高圧的だということは決してないが、 この共感には、「一人部屋になったら、今までの怠け腐った生活をさっさと変えろよ」と脅されている気分になる。 また両親に貸しているお金の話でも 「このままだとご両親は全額返してくれるか分からないんですよね。月にいくらって返済額を決めた方が良いと思うんですよ」と助言される。 これに関しては、「貸しておいてちゃんと返金してもらう手立てを考えていなかったんだね。軽率だね。バカだね」と、自分の行いを貶されているように思えてしまう。 2.普通という枠に囚われる 自分は相手の言葉の裏を考えてしまい、悪いように受け取ってしまう。 だから、共感されることでかえって傷つくのだと思う。 自分としてはどちらかと言えば共感してほしいのではなく、「H、お前は普通じゃない」と認めてほしいのかもしれない。 むしろ自分が普通なら、なぜ働きもせず一日中引きこもっているのか、これのどこが普...

お出掛け日記

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父から「土曜日、三人で富士山に行こうよ」と誘われた。 Hの両親は、たまに富士山の麓にある「北口本宮冨士浅間神社」とその付近の神社へ参拝に行くことがある。 実は2月の終わりにも誘われていた。 しかしその時は両親が前日に酒を飲みすぎて寝坊をしてしまい、中止になった。 私は夜更かしをして早朝出発するのを待っていたのだが、眠かったので行かなかった。 今回は3月に行きました。 1.多すぎた白米 前日に父から「朝6時に家を出る、家で朝食を食べてから行こう」と言われていたので、当日は朝5時頃に起床し、朝ごはんを食べた。 前日の夕飯の残り物と冷やご飯をレンジで温めて食べた。 しかし、Hが手に取った冷やご飯は量が多かった。 父には「朝からそんなに食べるの?!」と驚かれたが、ご飯に箸をつけてしまったためあとには引けなかった。 我が家では余ったご飯は下の画像のようにタッパに入れて冷蔵庫で保存をしている。 当日はこの画像のタッパに隙間なく詰め込まれていた物を食べた。 これを完食するには時間が足りないと焦りながら、早食いをした。 「ご飯の量が多いので、6時10分出発に変えてください」と父上殿と母上殿に懇願したところ、「ゆっくり食べなさい、焦らなくていいよ」と両親から慈悲を与えられた。 朝食を済ませ、母に「洗い物はお母さんがやっておくからいいよ」と言ってもらい、Hは歯磨きや着替え、水筒の準備等をし、出発に備えた。 しかし、父が朝食をとりだした。 あとから聞いた話だと、「Hが朝からもりもりご飯を食べていて、自分も食べたくなった」らしい。 予定より30分遅れてしまったが、出発をし、目的地へ向かった。 2.膀胱での攻防戦 道中、渋滞に巻き込まれ、高速道路を降りたり、乗ったりした。 Hはトイレ(小)がしたかったが、自分のせいで出発が遅れたと負い目があり、「トイレに行きたい」と言い出せなかった。 父は「トイレ寄るか?」と聞いてくれたが、「目的地までなんとかもつだろう」と軽率な考えをし、Hの膀胱は「弟子やったらパンパンや」状態になっていた。 (膀胱がパンパンなのと膀胱君のHに対する苛立ちがかかっている。かかっているのはションベン(おしっこをかける意味)だけではなくHの尊厳と目的地までもつかというギャンブル的な要素も賭かっている) 道中、父がカーラジオを流しており、い...

ブログ収益化への道②

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対策をし、待つこと2週間……。 2026年5月5日火曜日、午前8時50分。 起きてすぐ、Gmailを開いた。 同日午前1時28分にGoogle AdSense からメールが届いていた。 内容は三度目AdSense 収益化申請の合否。 三度目のAdSense収益化申請、結果は 不合格 でした。 はい、まただめでした。 全記事1,500文字以上に改訂したのによぉ! 不合格のたびに、メールにこのおっちゃんが表示されるんだけど、名も知らないこの人に嫌悪感を抱き始めています。 なに笑うてんねん。こっちとら笑顔で歯を見せてんちゃうぞ、イライラで歯を食いしばってんだぞ。 ラーメン屋の大将みたいに腕組んでんちゃうぞ。 ワシを怒らせんなよ。 キレても気分落ち込んで寝ることしかできへんのやぞ、ワシは。 1.変わらない不合格理由 不合格理由は一度目、二度目と変わらず……。 有用性の低いコンテンツ お客様のサイトは、弊社の定めるサイト運営者ネットワークのご利用要件を満たしていないと判断されました。詳しくは、以下のリンク先の情報をご参照ください。 ・コンテンツの最小要件 ・独自性のある質の高いコンテンツと優れたユーザー エクスペリエンスをサイトで提供する ・ウェブマスター向けの品質に関するガイドライン(質の低いコンテンツ) ・ウェブマスター向けの品質に関するガイドライン とGoogle AdSense のページに表示されている。 ​今回は上記4つのうち、1つくらいは項目が減っているだろうと期待していましたが、無情にも現状維持でした。 2.不合格理由の詳細を再確認してみた 次回に向けて、改めて 詳細読み直してみました。 ・コンテンツの最小要件 噛み砕くと「著作権侵害、差別、アダルト、残虐、欺瞞、不正行為を助長する内容はNG」ということ。 これらに当たるような内容は「ダメ人間Hのブログ」には掲載していないと自信があります。 冗談混じりの記事はあるけど、それは明らかに「ジョークコンテンツ」とわかると思うんだけど、もしかしたらこれもダメなのかな? ・独自性のある質の高いコンテンツと優れたユーザー エクスペリエンスをサイトで提供する これは「内容に独自性があり、重複がなく、ユーザー(読者)がサイトを使いやすく、読みやすいか」ってことみたいです。 前回の対策で、目次と見出しに改行...

ブログ収益化への道①

「ダメ人間Hのブログ」での活動が2026年3月で1年経ちましたので、収益化に挑戦しようと思います。 今回は、ブログ収益化に向けた私の奮闘記をお届けします。 1.とりあえず収益化申請 まずは何もせずそのままで収益化申請。 Google AdSense に登録し審査を待つこと約1週間。 結果は 不合格 でした。 不合格の理由 解説を読んでも専門用語が多くてよくわからないのですが、要するに「今のままでは価値のあるサイトと認められない」ということ。 できれば幼稚園児にでもわかる言葉で書いて欲しい(わがまま) 調べてわかった 「必須条件」 ・固定ページの設置: 自己紹介、プライバシーポリシー、お問い合わせフォームは必須。 ・文字数: 1投稿につき1500文字以上が望ましい。 ・有益性: 読者の悩み解決やライフハックなど、「誰かの役に立つ情報」が含まれていること。 Gemini (AI) いわく、日記や体験談は、それだけでは「有益なコンテンツ」と見なされにくいとのこと。 体験から得たアドバイスや具体的な対処法を盛り込む工夫が必要だと。 これらを対策して、収益化合格を目指そうと思います。 2.改善に向けた対策 【対策1】固定ページの追加 「記事」とは別に「ページ」機能にて自己紹介とプライバシーポリシーを執筆。 お問い合わせフォームと合わせてサイドバーに集約し、サイトの信頼性を高めました。 【対策2】過去記事の書き直し(リライト) これまで1,000文字前後だった各記事に情報を付け足し、1,500文字以上になるよう再構成しました。 (でも、簡潔で分かりやすい記事とか世の中にあるじゃんだから1,000文字前後でも良くない?むしろ短くてサァ~と読めて満足感あるものを書ける方がかっこよくない?自分はできないけど…) 【対策3】ユーザビリティの向上(見やすさ重視) ・目次と見出しの追加 :  どこに何が書いてあるか一目でわかるよう、HTMLを編集して目次を自動追加するようにしました。 目次の自動追加をするためにHTMLの編集を行った。 情報サイトをいくつか閲覧し、「公開されているコードをコピー&ペーストするだけでOK」とのことなので試したが、なぜか編集の保存ができなかった。 何度やっても失敗するので、Gemini に相談をしたところ 原因がわかった。 利用していたBlogg...

引きこもりが自宅でできること10選

約10年引きこもり(2026年現在、記録更新中)の私が、自身の豊富な経験をもとに「引きこもりが自宅でできること」を紹介しようと思います。 ​※本記事はあくまで私の経験談であり、情報の 信憑性は皆無 です。 「おっ、いいじゃん」と気になったものがあれば、各々で詳しく調べてみてください。 1.家事(料理・掃除・洗濯) ・料理 私は自分の朝食、たまに昼食も自炊しています (食べない日も多いですが…)。 冷蔵庫にある食材でレシピを検索し、 見よう見まねで作る。 そのレシピを気に入れば次回以降は自分好みにアレンジする。 この試行錯誤が意外と楽しいです。 家族に振る舞うのも良いかもしれません。 ちなみに、使った道具や食器を自分で洗うところまでがセットです。 ・掃除 家全体を掃除するのは億劫なので、 自室だけで済まします。 私は実家を出たことがない「両親寄生人」なので、基本は自室のみ。 埃を掃除すれば、鼻のムズムズが解消されて、くしゃみも減るよ。 ・換気 引きこもりは家にいることがデフォルトなので、空気がこもって部屋が臭くなりがちです。 1日1回、窓を開けて換気をしよう。 空気の入れ換えは気分的にも良い。 ただし、時期によっては花粉などが入ってくるため気をつけよう。 ・洗濯 私はたまに洗濯物を畳んだりします。 稀に土日祝日の夜更かしついでに明け方の洗濯物を干したりします。 両親に休日少しでも休んでもらえたらという、私なりにできる精一杯の気持ちです。 「Hが自立してくれた方が親としては嬉しいはずだよ」と読者の皆さんは思うかもしれませんが、 おめぇさんそれを言っちゃぁおしめぇよ。 2.創作物(アニメ・映画・ドラマ)鑑賞 私は家族が契約しているNetflixで創作物鑑賞をしています。 土日祝日の前夜は朝まで夜更かしをして作品を観る。 そのせいでその後の一週間、昼夜逆転してしまうことがよくあるが…。 また、YouTubeで ゲーム実況や音楽フェスのライブ映像をよく観ます。 というか引きこもりの大半はこういうことばっかして過ごしていると思いますが…。 YouTubeでは、版権会社などの公式が期間限定でアニメやドラマを無料公開していることもあります。 最近だとYouTube公式の「映画」のページで無料で観れる物もあります。 人気の作品やB級映画が無料で観られるので、サブスク未契約の人にもおす...

不登校経験者が語る、不登校児がやるべきこと5選

私の不登校経歴 詳しくはこれらを読んでください 引きこもり生活の始まり「逆流性食道炎」 、 不登校(小学生編) 、 中学生編 、 高校生編 はじめに 不登校を経験してまず思ったのは、 「一番良いのは学校に行くこと」 だということです。 当たり前のことかもしれませんが、学校に通っていれば、担任とのいざこざや、学力不足による高校受験の選択肢の制限など、余計な苦労をせずに済んだはずだからです。 しかし、大半の不登校児童は「行きたくない」あるいは「行けない」からこそ、苦しんでいる。 私自身もそうでした。 そこで、私の実体験から「不登校期間中でもこれだけはやっておくべきこと」を5つにまとめて書き記します。 1.勉強を継続しよう 私は病気が原因で引きこもり、不登校になりました。 体調が悪くなにもできない日もありましたが、動ける日もありました。 当時の私はそんな日をゲームだけをして潰してしまいましたが、今振り返れば「自分ができる範囲で少しでも勉強しておくべきだった」と痛感しています。 自宅が難しければ、図書館へ行くのも手です。 不登校であっても「引きこもり」になる必要はありません。 周りの視線が気になるかもしれませんが、他人が何かを言ってくることはまずないので、気にする必要はありません。 2.意識的に運動をしよう 自宅や公園などで、週1回でも良いので軽い運動を取り入れましょう。 不登校(高校生編)でも書いてありますが、長年の引きこもり生活によって私の体力は著しく低下しました。 健康を維持し、汗をかいてリフレッシュするためにも、最低限の運動習慣は不可欠です。 3.時間のメリハリをつけよう 学校に通っていれば「45分授業・5分休憩」と自動的に時間に生活にリズムが生まれますが、不登校だとそうはいきません。 自分でカリキュラムを組むのが理想ですが、難しければまずは「食事」「勉強」「睡眠」の時間を固定することから始めてください。 一度染み付いた自堕落な生活習慣を正すのはとても難しいです。 「落ちぶれない」という強い意志を持って、時間を意識しましょう。 4.熱中できる趣味を見つけよう ​勉強や規則正しい生活も、楽しみがなければ長続きしません。 私は近所の学校から聞こえるチャイムの音に、自分を責めて苦しむ時期がありました。 しかし、何かに熱中している間は、不登校という負い目を忘れることができま...

残光を探して(創作話) 製作秘話

2026年1月30日、朝目覚めると同時に頭の中に一つの題材が浮かんだ。 (引きこもりが寝ている間に同居人が何者かに殺害される……これ、面白くね?) 夢で見たのか、起きてすぐ思い立ったのかは覚えていないが、とにかく話を書いてみようと思い、スマホを手に取り、Blogger の下書きに書けることを書いた。 今回は、私が書いた「残光を探して(創作話)」の製作過程についてお話ししようと思います。 1.行き詰まりと「救世主 Gemini 」 まずは何となくキャラクター設定やおおまかな話の流れを書いた。 書いていくうちに話の流れが詰まってしまい諦めようとしたが、AIを使ってみようと思い、Google のAI「Gemini」にその時点で書けている設定をコピー&ペーストしてお話を書いてもらった。 何度か書いてもらうたびに素晴らしいものがいくつも出来上がるのだが、明らかに本を読まないHには存在しない語彙力、文章力だらけで(これをこのまま使うのは自分が書いたものとは言えない)という一丁前のプライドが発動し、部分的に使わせてもらい、話を書き上げようと思い立った。 ちなみに最初はトリック物にしようと思ったが、殺害、密室トリックを主人公が解く話の流れを思いつかなかったので、探偵的なお話に変えました。 2.話の下書き 実際にGemini にコピー&ペーストした設定をここに貼ろうと思う。 「「「ここから設定」」」 比木木守(ひき こもり) 男 webライター 主人公 昔から人付き合いが苦手で内気な性格 引きこもり、在宅仕事で収入はある 只野良子(ただの りょうこ) 女 webサイト編集者 やられ役 ただの聖人、良い人、比木木守とは仕事で関わり、そこから仲良くなる 粟国赦(あくに しゃく) 男 刑事 比木木守サポート役  最初は比木木守を疑うが、途中からは事件解決に比木木守と協力する 浦見亜心(うらみ あこ) 女 webサイト編集者(同僚) 犯人 事件前 只野良子と面識あり、比木木守とは面識なし 事件後 比木木守も口封じに殺害しようとする 動機 仕事上の恨み(成績) ひねくれもの、只野良子に対する劣等感が強い、誰にでも優しい只野良子に嫌悪感を抱いている 引きこもり「比木木守(ひき こもり)」と同居する社会人「只野良子(ただの りょうこ)」が自宅で何者かに殺害される。 只野良子死亡時、...

残光を探して (創作話)

1.暗雲が立ち込める朝 窓を叩く雨の音で目が覚めた。 ぼんやりとした視界の先、窓の向こう側は、 まるで自分の心境と同じような灰色だった。 起き上がろうとしたが、体が鉛のように重い。昨夜、現実から逃げるように飲み込んだ薬のせいだろう 。 昨日の夜はつらかった。 消せない不安や振りほどけない悲観的な考えが頭を巡って、ただただ苦しかった。 その思考を無理やり止めるために、処方薬を飲み、布団に沈みこんだ。 重い体を引きずって、乾いた喉を潤そうと居間へ向かった。 視界はぐらつき、足取りはおぼつかなかった。 2.崩れた平穏 いつもなら、同居人 只野良好 (ただの りょうこ) が淹れた、コーヒーの香りが漂ってくるはずだが、今日はしない。 それどころか、人の気配すらない。 「きっとまだ自室で休んでいるのだろう」 そう思った束の間、床に白く青ざめた足が見えた。 比木は恐る恐る声を掛けた。 「りょ…良好さん?大丈夫ですか…?」 体を揺さぶっても反応がなく、岩のように動かず、 体が冷たい。 首筋や手首を触っても命の鼓動、脈拍は感じられない。 震える手でスマートフォンを掴み、救急へ電話をかけた。 3.冷たく向けられた嫌疑 悲しみに浸る時間さえ与えられなかった。 静かで冷たい取調室では刑事の声だけが響いていた。 目の前に座るのは、 刑事の 粟国 赦  (あくに しゃく) 彼の鋭い眼光が、比木の動揺を見逃すまいと突き刺さる。 「比木 木守 (ひき こもり) さん、同居人が亡くなっているのにあなたは隣の部屋で寝ていた……と?」 「薬を、飲んで…それで、寝ていました……」 比木はか細い声で答える。粟国は比木を追い詰めるように身を乗り出した 「いいですか。あなたが目を覚ました時、玄関には鍵が掛かっていた。窓も全て内側から施錠されていた。つまり密室だったんですよ。外部からの侵入者がいない以上、答えは一つしかない」 「私が、やったと……そう言いたいんですか」 「状況だけ見れば、あなたが犯人として有力なんですが…」 粟国は手元の鑑識のレポートを比木に突き出した。 「比木さん、あなたの血中の薬物濃度が、事件当時、眠っていて犯行が不可能だったことを証明しているんですよ」 粟国はため息をついて、言った。 「誰が殺ったかにせよ、只野さんの死因は遅効性の毒物による中毒死。他殺でしょう…」 「とりあえず何か分...

「楽しい」で終われない私のお酒

お酒を飲むとこの世から去りたくなる。 飲んで酔いが回り始めると気分が良いのだが、ふとしたときに「なんで自分なんかが酒を飲んでいるんだろう」「なんで生きているんだろ」とマイナスな考えを抱いてしまう。 今回は、酔った際に生じる「負の感情」についてお話ししようと思います。 1.母とは杯を酌み交わしたくない 私は毎晩晩酌するわけではなく、土曜日の夜に両親と嗜む程度。 父が先に寝て母と二人で飲むと、決まって私の現状についての話になり、口論 に発展しまうことがよくある。 母から「何かやりたいことはないの?」「アルバイトでもやってみたら?」「外に出てみたら?」などといろいろ言われる。 親なので心配してくるのはわかるが、せっかくお酒を楽しんでいるときにそんな話はしないでほしいと思う。 母にしてみれば、そんな時にしか私が話をしないというのもあるのだろうが。 母も酔っているので、自分の考えを押し付けてくる。 私も私で、自分の思いをぶつけてしまう。 シラフであれば面倒くさいと思って受け流すことができるが、酔っているとどうしても私も食ってかかってしまう。 最終的には、母のお決まりの逃げ言葉「私は女だから(あなたのことは)わからない」と言い喧嘩になる。 2時間以上も話し合った末、そんな結論で終わるのは私としては腑に落ちない。むしろ不服である。 「じゃあ、性転換でもすればいいのか」と言い返したくなる。 2.断酒の決意 一時、お酒を飲まなくなった出来事があった。 2025年7月、酷く酔った私は、母に対して一方的に不満を爆発させた。 その時の私は自暴自棄になっており、衝動的に自分の存在を消し去りたいという思いに駆られ、取り返しのつかない行動に出ようとした。 危ういところで母に止められ、事なきを得たが、一歩間違えればという状況だった。 その後も感情の歯止めが利かず、さらに自分を傷つけようと試みたが、幸いにも軽い傷を負うだけで済んだ。 泥酔した私は、そのまま台所の床に崩れ落ち、醜態を晒しながら母の前で泣き喚いた。 その夜は、汚れを落としてから這うようにして眠りについた。 翌日、母は「飲み過ぎたんだよ。私止めれば良かったね、ごめんね、でも楽しかったよ、また飲もうね」と声をかけてくれた。 しかし私は、自分はお酒を飲まない方がいいと痛感し、それ以来、お酒を断つことにした。 3.飲酒解禁 しかし2026年1月...

憂鬱な年末年始

2026年始まってしまいました。 私はイベント事が嫌いですが、その中でも年末年始は特に気分が落ち込みます。 今回は、イベント事の中でも特に嫌いな年末年始について話そうと思います。 1.強制的に振り返らされる 年が変わる際、「去年一年はどうだったか」と強制的に振り返らされる。 そして「 何もない空っぽな一年だった」と悲観してしまう。 現実逃避をしていても、年が変わるという事実は、より時間の進みを感じる。 他のイベント事に比べ、年末年始は関わらないようにしても、どこかで突きつけられる。 テレビの年末年始特番、ネットを開けば「一年ありがとうございました」「一年を振り返る」といった文言が嫌でも目に入り、世の中全体が勝手に一区切りをつけようとしてくる。 年末年始は、特に避けることができないイベントだと思う。 何も成していないため時間を進ませたくないが、そんなことできない。 自分だけ2025年に留まることなんてできないし、 ぼくなつの8月32日みたいなこと現実では起こせない。 というか、一人だけ存在しない日にちとか怖いし… そんなの怖くちぇ漏らちてちまう… 2.昔はこれほど悲観することはなかった 「私がイベント事を忌避する理由」でも話したが、引きこもりになる前は他のイベント同様に年末年始を嫌うことはなかった。 小学生時代、大晦日から年明けまでは毎年決まった流れがあった。 ・大晦日 年末特番を見ながら家族と一年の最後の数時間を過ごし、 23時頃に両親と除夜の鐘を撞きに寺へ向かう。 道中、父は必ずコンビニでフランクフルトを買い、 私と母は温かい飲み物を買ってポッケに入れ、暖を取る。 寺に着くと行列の最後尾に並び、 途中で配られる甘酒をいただく。 私は一口飲めば満足なので、残りは父に渡す。 一歩ずつ鐘撞き堂へ近づき、 私たちの番になり、鐘を撞く。 それから本堂に参拝して寺を後にする。 その後、地元の神社二ヵ所へ参拝して帰宅。 ・元日 昼過ぎに家族と顔を合わせ、「今年一年もよろしくお願いします」と挨拶をしておせちをいただく。 ・二日 父方の祖父の命日のため、墓参りへ。 その後、元日にはいなかった家族も参加し、昼から夜まで食事会が開かれる。 この時に子供の稼ぎ時、お楽しみのお年玉配布がある。 ・三日 母方の祖父母、伯母が家に来て食事をする。 この日に母方の祖父母、伯母からお年玉をいただく...

映画から生じた被害妄想

私が高校1年生の頃、YouTubeで映画『トゥルーマン・ショー』の「ファスト映画」と呼ばれる動画を観た。 映画の内容は、主人公トゥルーマンの生活を本人に気づかれないよう24時間監視・撮影し、それをリアリティ番組として全世界に放送しているという話。 この映画に「面白そうだな」と興味を持ち、いつかファスト映画でなくちゃんと観たいと思っていた。 その後、家族の契約でNetflixを見れるようになってすぐに本編を観た。 とても面白い作品だった。 今回お話しするのは、映画「トゥルーマン・ショー」についての感想ではなく、この映画を視聴したことにより、私自身も主人公トゥルーマンのように「監視され、撮影され、放送されているのではないか」という被害妄想を抱くようになった経緯について話そうと思う。 1.仕組まれた人生 この映画を観るまでは、自分の人生が誰かに仕組まれているなんて考えもしなかった。 しかし、自分の過去を振り返ると、 「あまりに出来すぎていないか?」と思うことがある。 ・短期間に2回もノロウイルスに罹ったこと 専門的なことは判らないが、一度罹れば抗体ができるのではないのか。 1回目と2回目のウイルスが別物だったのではないか。 まるで、私が感染するようにあらかじめ仕組まれていたのではないか。 ・周囲からの精神的攻撃 担任教師、父、父方の祖母。 家族すら親身にならず、ひたすら私を攻撃してきたのは、すべて「演出」されたものなのではないか。 逃げ場のない少年の胸が痛むシーンを演出することで、視聴者を熱中させているのではないか。 ・希死念慮に対する家族の反応 息子から「この世から去りたい(婉曲表現)」と言われたのに対応が軽い気がする。 真剣に寄り添うわけでもなく、かといって突き放すわけでもない。 その「浅はかな対応」さえも、台本通りに動いている気がしてならない。 ・自由に使えない私のお金 私が貯めた50万円を「借用」という形で奪われ、返済もされない。 金銭的な選択肢を奪って行動を制限し、「何もしない人生を終わらせたいダメ人間」というキャラクターを演出したいのではないか……と勘ぐってしまう。 自分を社会不適合者に仕立て上げ、もがき続けている様子を撮影し、自分の知らないところで放送している。 そんな妄想を抱くようになった。 どうせ撮るなら自分みたいな暗いやつよりも、もっと楽しそうなやつを...

ショート動画に騙される

1日のほとんどをYouTubeを見て過ごしている私。 暇つぶしにダラダラと眺めているショート動画には、事実と異なる内容が含まれていることが多いです。 今回は、私がショート動画の「フェイク」に騙された話をしようと思います。 1.暇つぶしに眺めるショート動画 基本的にはお気に入りチャンネルの更新を楽しみにしているのだが、動画の更新は 大抵1日1本。 暇だが何もしたくない私は、 暇をつぶすために、普段なら全く興味が湧かないような動画をダラダラと流し見したりもする。 その興味のない一つがショート動画だ。 海外動画を翻訳してツッコミを入れたりした動画や動物系の動画など、多種多様な動画がおすすめに表示される。 そのショート動画には、嘘の情報や複数の動画をつなげて感動的に仕立て上げたものがある。 2.嘘っぱち動画の蔓延 私が見たことあるのは「オスライオンが自分の死期を悟ると自ら墓穴を掘る」という動画。 実際には狩りの様子を部分的に切り取ったものに、お涙頂戴の嘘タイトルをつけた動画。 当時の私は「野生動物にも崇高な死生観があるんだな」と、その心に響くストーリーを信じたくなってしまったのだろう。 だが実際は、単なるオスライオンの生活サイクルの一部に過ぎなかった。 動物保護系の動画も事実と異なるものが蔓延してる。 保護された個体と、その後の元気になった個体が全く別物だったり、飼い主が別人だったり。 似たような別動画を繋ぎ合わせ、字幕で「ハッピーエンド」に仕立て上げただけの嘘っぱち動画が溢れている。 最近では、生成AIを使ったフェイク動画も存在する。 「夜中、野生動物が庭のトランポリンで遊ぶ様子を監視カメラが捉えた」という動画を見たが、私は初見で生成AI動画だと見抜けなかった。 こうした動画には、テロップが機械翻訳のような不自然な日本語になっているという共通点もある。 3.嘘を広めて赤っ恥をかく 嘘動画を見るだけなら実害はないので構わないが、最近はショート動画に対して少し嫌悪感を抱くようになった。 というのも 、嘘動画を信じて赤っ恥をかいた出来事があった。 ある時、酔っ払っていた私は、母に「オスライオンって自分の死期を悟ると墓穴を掘って終活するらしいよ」と嘘の情報を自慢気に話してしまった。 多分、母も酔っていたのでそんなこと覚えていないと思うが、後にそれがデマだとを知ったとき、私は赤っ恥...

視線を感じたらガンを飛ばせ!弱者による、弱者のための外出ハック

私が引きこもりになった根本的な原因は病気ですが、引きこもりをより加速させた要因があります。 それは他人の視線に対する恐怖です。 今回は、私がなぜ外に出られなくなったのか、そしてその恐怖をどのようにして克服したかについてお話ししようと思います。 1.ゾンビのような肌と、他人の視線 病気になってからは体調が優れず、寝て過ごす日々を送るようになった。 外出せず日光を浴びない生活が続いた結果、久々に外に出て太陽光に照らされた自分の腕は、まるでゾンビのように不健康な白さになっていました。 また父方の祖母からは「Hは肌が白いね。女の子だったらよかったのにね」と今だったら少しアウトな発言をされたこともあった。 たまに通院などで外出すると、すれ違う人の視線を感じることがあった。 「平日の昼間に子供が出歩いているなんて、きっと不登校なんだ」と蔑まれているような気がしたり、「私の肌が白いからジロジロ見てくるんだ」と思い込んだり。 その視線が怖くなり、より一層、家に閉じこもるようになった。 どうしても避けられない法事などの行事で外出する際は、家族の背中に隠れるようにして、体を縮こませながら歩いていた。 2.ニート戦士ダメ人間 逆襲のH この恐怖に対する考え方が変わった転機として、「見てくる人が自分に直接何か言ってくることはない」とふと気がついたことだった。 たとえ視線を感じたとしても、すれ違った後にわざわざ振り返ってまで確認してくることはない。 そう気づいた時、そこまで気にする必要はないのだと思えるようになった。 それから私は開き直った。 「見られるのは何かやられっぱなしのように感じて癪だ。どうせならやり返してやろう」と考え、視線を感じたらむしろ睨み返すことにした。 最初は「なにガンつけてんだ!このクソガキ!」と怒鳴られるかもしれないといった恐怖心があったが、家族と一緒の時に「俺にはバックアップ(家族)がいる。もしもの時は家族を囮に残して逃げよう」と弱者ムーブで挑戦してみた。 意外にも、奴らは睨み返されるとすぐに目線を逸らす。 それに気づいてからは「なんだ、大したことないじゃん」と手のひらを返し、 視線を感じたら睨み返すようになった。 そのたびに心の中で「フン!!オレの勝ちだ!」と、まるでゲーム感覚で考えるようになり、家族の背中に隠れながら歩くことも減った。 さらに、「俺がこの世界の主人...

青春コンプレックス、失われた時間による呪縛

青春コンプレックスとは 自分が経験できなかった「学生時代の青春」を、他の者が享受していることに対して抱く劣等感。 今回は、ここ数年で私の中に芽生え始めた負の感情、「青春コンプレックス」についてお話ししようと思います。 1.不登校の経験が生んだ、数年越しのデバフ 私にとってのこの感情の根源は「もし不登校にならなければ、今の暗い自分にならずに済んだのに」という、終わりのない後悔にある。 街中で学生を見かけると、自分の空白の過去を思い出してしまい、どうしても悲観的な思考に陥ってしまう。 学生たちは何も悪くはない。 彼らはただ、今という時間を謳歌しているだけだ。 それなのに、「その青春を私も経験できたかもしれない」と、今さらどうしようもない仮定を、呪文のように繰り返してしまう。 現実だけではなく、学園を舞台にしたフィクション作品に対しても、青春コンプレックスを感じてしまう。 「面白そうだな」と興味を持って見始めても、結局はキャラクターたちの眩しさと自分との差に打ちのめされるだけ。 誰かに感想を求められても、作品の良し悪しではなく、自分の内側に湧き出たドロドロとした愚痴しか出てこない。 フィクションだと分かっていても、「こんなクラスメイトがいるなら、俺も不登校にならず学校行ってたよ」と、虚しい独り言のような愚痴をこぼしてしまう。 2.対処法のない苦しさ 現状を変えようと、1カ月ほど週に一度の散歩を試みたことがあった。 しかし、下校中の学生たちが楽しげに話す姿や、風に乗って聞こえる部活動の音が、自分の過去を思い出させ、悲しくなってしまう。 結局、その辛さに耐えきれず、散歩をやめてしまった。 平日に外を出歩けば、嫌でも学生の姿が目に入る。 この先、学生を見たときに生じるこの青春コンプレックスへの対処法を見つけられない限り、外に出ること自体がさらに億劫になっていくだろう。 もう不登校だった6年間は、帰ってこない。 自立した生活を送れるようになれば、このコンプレックスは消えるのかもしれない。 しかし、今は何に対しても気力が湧かず、将来を考えても不安や悲観的な考えしか頭に湧かず、嫌になってしまう。 「気づいた時には、数年経っているかもしれない」 そう考えると、より不安や恐怖が心の底から滲み出て、何も考えたくなくなり、思考を停止させたくなってしまう。 3.「青春」という名の幻想 私は青春...

散歩への挑戦と挫折

今回は、1カ月間にわたって「週に一度の散歩」に挑戦し、その中で感じたこと。 そして「散歩を止めよう」と思い立った経緯についてお話ししようと思います。 1.散歩を習慣にできない理由 引きこもりになってからも、年に数回は散歩に出かけることがあった。 もともと歩くこと自体は好きだった。 しかし、散歩をしていると「話し相手が欲しい」と孤独を感じたり、お店を見ては 「お金があれば何か買えるのに」と自分の現状を突きつけられて、どうしても暗い気持ちになってしまうことがあった。 そんなことが続き、いつしか散歩への意欲がなくなった。 2. 2025年4月、再挑戦 きっかけは2025年4月。 配信中にリスナーから「桜を見に散歩してみたら?」とコメントをもらった。 その時は気力もあり、「配信で話すネタにもなる」と思い、散歩をしに外へ出た。 ネットで「太陽光を浴びるとセロトニンが分泌されて気力が出る」と見たのも後押しになった。 ここ数年桜を見ることもなかったため「気分転換にもなるかな」と思い、外へ出る気にもなった。 桜自体に特別な思い入れはない。 むしろ「別れや出会いの季節」というイメージが強く、 別れも出会いも経験せず不登校だった暗い過去を思い出して、気が病んでしまう。 それでも「このまま引きこもっていても何も変わらない」と思い、 水筒とスマホを持って散歩に出かけた。 向かったのは、昔住んでいた家の近くにある、桜並木の美しい川沿い。 道中、自販機を見かけると、缶ジュース一本の値段が小学生の頃より20円ほど値上がりしてることに気がついた。 美味しそうな飲み物があっても「自分は無収入だから、お金を使っても減るだけだし、水でいいや」と水筒の水を飲みながら歩き続けた。 目的の川沿いに着き、桜を見て「綺麗だけど、やっぱりなんか悲しくなる」と思いながらも配信のサムネイルに使うための写真を撮った。 川の水面には桜の花びらが絨毯のように流れていた。 とても綺麗だったが、「 この美しい景色を一緒に見て、共感できる人がいたらいいのに」と、また悲しくなった。 3.成長と、悪化した心 それから少し遠回りをして、小学校低学年の頃に住んでいた家を見に行った。 私たち家族が住んでいた家は跡形もなく、綺麗なアパートが建っていた。 三兄とキャッチボールをした家の前の道が、自分が思っていたよりも幅が狭かった。 道幅が狭くな...

私がイベント事を忌避する理由

私は季節ごとのイベントや自分の誕生日が嫌いです。 今回は、私がなぜこれほどまでに行事ごとを忌避するようになったのか、その理由についてお話ししようと思います。 1.現実を突きつけられる 引きこもり生活が長くなるにつれ、自分の未来について考えるのが億劫になってしまった。 「現状がこんななのに、先のことなんかわからないよ」と嘆くことばかりで、 今を変えようとせず、現実逃避をして、ただ時が流れていく日々を過ごしている。 しかし、イベントという節目は、私が考えないようにしている「時の流れ」を強制的に突きつけてくる。 そのたびに「もうそんな季節か…自分は何やってんだろ…」「この先ずっとこのままなのか…」「どうすんだ…自分」といった不安や焦りが、心の底から滲み出てくる。 やり場のない気持ちに押しつぶされそうになり、マイナスな思考を止めるために ただひたすら眠り続ける。 ここ数年、私はこの繰り返しの中で過ごしている。 2.ひねくれた考え クリスマスやハロウィンは日本の文化ではないのだから、「要らないだろう」と思う。 かつて、クリスマスプレゼントを貰える年齢までは、私にとっても嬉しいイベントだった。 ケーキやチキンを囲み、プレゼントを貰った子供たちが喜ぶ姿は微笑ましいものだと思う。 しかし、今の私にとって、これらの行事は不安や焦りといった嫌な気持ちを引き起こすトリガーでしかない。 最近では「企業などが自社製品を売りたいがために、何でもない日をイベント日に仕立て上げ、ガッポガッポ稼いでる」といった、ひねくれた考えを持つようにもなった。 3.回避不能な「強制イベント」 ただ自分が行事ごとを意識せずに過ごせればいいだけの話に思えるが、現代社会でそれは容易ではないと思う。 街を歩けばイベント用に装飾された店が並び、商品のパッケージまでもイベント仕様に包装されている。 私は引きこもりだが、テレビやインターネットでもそういった物は視界に入ってくる。 私にとって行事ごととは、嫌な気分になるしかない「回避不能な強制イベント」でしかない。 4.何年生きてもそのうちはほぼ引きこもり 希死念慮が湧き出てから、誕生日はただの苦痛なものへと変わってしまった。 何歳になったと言われても、自分の人生の大半は部屋に引きこもっていただけ。 その期間に何かを生み出したことも、得られたこともない。 ただ、空っぽで暗い日々...