憂鬱な年末年始
2026年始まってしまいました。
私はイベント事が嫌いですが、その中でも年末年始は特に気分が落ち込みます。
今回は、イベント事の中でも特に嫌いな年末年始について話そうと思います。
1.強制的に振り返らされる
年が変わる際、「去年一年はどうだったか」と強制的に振り返らされる。
そして「何もない空っぽな一年だった」と悲観してしまう。
現実逃避をしていても、年が変わるという事実は、より時間の進みを感じる。
他のイベント事に比べ、年末年始は関わらないようにしても、どこかで突きつけられる。
テレビの年末年始特番、ネットを開けば「一年ありがとうございました」「一年を振り返る」といった文言が嫌でも目に入り、世の中全体が勝手に一区切りをつけようとしてくる。
年末年始は、特に避けることができないイベントだと思う。
何も成していないため時間を進ませたくないが、そんなことできない。
自分だけ2025年に留まることなんてできないし、ぼくなつの8月32日みたいなこと現実では起こせない。
というか、一人だけ存在しない日にちとか怖いし…
そんなの怖くちぇ漏らちてちまう…
2.昔はこれほど悲観することはなかった
「私がイベント事を忌避する理由」でも話したが、引きこもりになる前は他のイベント同様に年末年始を嫌うことはなかった。
小学生時代、大晦日から年明けまでは毎年決まった流れがあった。
・大晦日
年末特番を見ながら家族と一年の最後の数時間を過ごし、23時頃に両親と除夜の鐘を撞きに寺へ向かう。
道中、父は必ずコンビニでフランクフルトを買い、私と母は温かい飲み物を買ってポッケに入れ、暖を取る。
寺に着くと行列の最後尾に並び、途中で配られる甘酒をいただく。
私は一口飲めば満足なので、残りは父に渡す。
一歩ずつ鐘撞き堂へ近づき、私たちの番になり、鐘を撞く。
それから本堂に参拝して寺を後にする。
その後、地元の神社二ヵ所へ参拝して帰宅。
・元日
昼過ぎに家族と顔を合わせ、「今年一年もよろしくお願いします」と挨拶をしておせちをいただく。
・二日
父方の祖父の命日のため、墓参りへ。
その後、元日にはいなかった家族も参加し、昼から夜まで食事会が開かれる。
この時に子供の稼ぎ時、お楽しみのお年玉配布がある。
・三日
母方の祖父母、伯母が家に来て食事をする。
この日に母方の祖父母、伯母からお年玉をいただく。
こうして大晦日から三ヶ日を過ごす。
最近では、こうした正月の顔合わせもなくなった。
コロナ禍をきっかけにこの行事はなくなり、長兄や次兄は独り立ちして、それぞれの家で新年を祝うようになった。
私としてはもうお年玉を貰える年齢でもないので、正直、新年の顔合わせは面倒なので、ない方が嬉しい。
また、引きこもりになってからは、大晦日の神社仏閣巡りもしなくなった。
神や仏に祈ったところで私の現状は良くならず、賽銭代の無駄だと思うようになり、幻影に対する信仰はなくなった。
それでも、二日の墓参りの後には家族に連れられ、半ば強制的に初詣に行かされる。
二ヵ所も回るのは面倒なので、一ヶ所で終わりにするが。
信仰はなくなっても、出かけた際に見かけた神社仏閣へ寄ることはある。
しかし、それはあくまでも観光として参るだけ。
お賽銭も、願いを託すためではなく、あくまで見学料として納めるだけ。
3. 2025年~2026年の年末年始
最近はとにかく気力がなく、家族行事への参加が億劫になっている。
我が家の恒例では、30日と31日は大掃除、2日は祖父の墓参りがある。
今回(2025年~2026年)は、30日、31日は日中ずっと寝て過ごし、大掃除に参加しなかった。
ただ、2日の墓参りには気分が乗ったので行った。
4.おわりに
年明け早々から憂鬱エンジン全開オーバーヒート寸前な暗めな話ですが、2026年もブログは最低月1本を目標に更新を頑張りたいと思います。
また時間を潰すだけの憂鬱な1年になるのか、去年とは何か違うのか、先のことはわかりませんが、2026年もHをよろしくお願いします。
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