残光を探して (創作話)

窓を叩く雨の音で目が覚めた。
ぼんやりとした視界の先、窓の向こう側は、まるで自分の心境と同じような灰色だった。

起き上がろうとしたが、体が鉛のように重い。昨夜、現実から逃げるように飲み込んだ薬のせいだろう

昨日の夜はつらかった。
消せない不安や振りほどけない悲観的な考えが頭を巡って、ただただ苦しかった。
その思考を無理やり止めるために、処方薬を飲み、布団に沈みこんだ。

重い体を引きずって、乾いた喉を潤そうと居間へ向かった。
視界はぐらつき、足取りはおぼつかなかった。


いつもなら、同居人 只野良好 (ただの りょうこ) が淹れた、コーヒーの香りが漂ってくるはずだが、今日はしない。
それどころか、人の気配すらない。
「きっとまだ自室で休んでいるのだろう」
そう思った束の間、床に白く青ざめた足が見えた。

比木は恐る恐る声を掛けた。
「りょ…良好さん?大丈夫ですか…?」
体を揺さぶっても反応がなく、岩のように動かず、体が冷たい。
首筋や手首を触っても命の鼓動、脈拍は感じられない。

震える手でスマートフォンを掴み、救急へ電話をかけた。



悲しみに浸る時間さえ与えられなかった。
静かで冷たい取調室では刑事の声だけが響いていた。
目の前に座るのは、刑事の 粟国 赦  (あくに しゃく)
彼の鋭い眼光が、比木の動揺を見逃すまいと突き刺さる。


「比木 木守 (ひき こもり) さん、同居人が亡くなっているのにあなたは隣の部屋で寝ていた……と?」

「薬を、飲んで…それで、寝ていました……」

比木はか細い声で答える。粟国は比木を追い詰めるように身を乗り出した

「いいですか。あなたが目を覚ました時、玄関には鍵が掛かっていた。窓も全て内側から施錠されていた。つまり密室だったんですよ。外部からの侵入者がいない以上、答えは一つしかない」

「私が、やったと……そう言いたいんですか」

「状況だけ見れば、あなたが犯人として有力なんですが…」

粟国は手元の鑑識のレポートを比木に突き出した。

「比木さん、あなたの血中の薬物濃度が、事件当時、眠っていて犯行が不可能だったことを証明しているんですよ」

粟国はため息をついて、言った。

「誰が殺ったかにせよ、只野さんの死因は遅効性の毒物による中毒死。他殺でしょう…」

「とりあえず何か分かったら、こちらに…」
粟国は比木に名刺を渡した。



只野 良子 が死んだ。
「なぜ良子さんが…誰に…どうして…」
訳も分からず、暗い部屋の隅にただ座って、悲しみに暮れていた。
泣いても泣いても「良子さんが亡くなった」その現実があるだけだった。
彼女の居ない静寂で気が狂いそうになる。

「何か……何かして、気を紛らわせなきゃ…」

彼女が使っていたクローゼットに手をかけた。
まだ受け入れがたい現実から目をそらすように、無理やり遺品整理を始める。

引き出した服からは、微かに彼女の匂いがした。その香りは「彼女はもういない」と現実を突きつけてくる。
比木は心を無にして、機械のように手を動かし続けた。
悲しみを感じないように、ただ淡々と。


一冊の革手帳を見つけた。
「これは…日記?」
ページをめくると、只野 良子の日々が綴られていた。

「◯月◯日。新しいライター 比木 木守 さんとオンライン会議。どんな人なのかなと緊張したけど、話しやすそうな人で良かった!これから仲良くなれると良いな!」

「✕月✕日。比木さんは人付き合いが苦手でお家に籠りがちとのこと…。私の家の部屋も一つ空いているし、人に慣れるためにもシェアハウスを提案してみたら、「お家に籠ってても良いな…是非。」と快諾してくれた!」

「△月△日。近くの公園で桜が咲いていたので、比木さんを思い切って外出に誘ってみた。彼は怖がっていたけど「外が怖いなら私の手を握って私だけ見ていれば良いよ」と少し恥ずかしいことを言ってしまったが、彼は頷いてくれた。「桜、綺麗ですね」と彼は言っていた。比木さんの気分が少しでも晴れたなら嬉しいな」

「□月□日。次期プロジェクトリーダーに抜擢された!これも比木さんがいつも最高の記事を書いてくれるおかげ。 同僚の浦見さんが最近、目を合わせてくれないのが心配。彼女、頑張り屋さんだから、無理してないといいけど…」

日記には、比木への思い、仕事への情熱などが綴られていた。

比木はクローゼットから数ヶ月袖を通していない上着を取り出した。彼女を殺した人間を、このままにしておくわけにはいかなかった。
比木は粟国に連絡を取り、只野の職場である編集部へ同行させてほしいと頼んだ。


比木は只野の勤めていた会社を訪ねるため、数ヶ月ぶりに外の世界へ踏み出した。
眩しい太陽、通行人の視線、街の雑音。吐き気が止まらずにいた。
パニックにならないよう、ただひたすらポケットに入れた只野の日記を握りしめていた。
「大丈夫…彼女の手を握っているつもりでいれば」

粟国は比木の様子を見てボソッと呟いた。
「そんなになりながらも同居人のために…私はあなたを見誤っていたようだ」

比木は俯きながら答えた。
「良子さんはただの同居人ではないです。私の拠り所だったんです。そんな彼女の無念を晴らしたいんです」

「良子さんのためにもなんとしてでも犯人を見つけましょう」


只野が勤めていた編集部は、彼女を失った悲しみに沈んでいた。
「只野くんは、周りの人にも明るく気を配っていてね。編集部には必要不可欠な人だったよ」
上司は目頭を押さえながら語った。
「仕事で困ったことがあったら、彼女はいつも気軽に相談に乗ってくれたんです」同僚たちも彼女の死を悼んでいた。

その喧騒から離れたデスクで、一人だけ淡々とキーボードを叩く女性がいた。
彼女のデスクの脇にあるファイルに比木の目は止まった。
『次期プロジェクトリーダー:浦見亜心(うらみ あこ)』 只野が就くはずだった役職だ。

比木は浦見の背後から、彼女のディスプレイを盗み見た。
そこに書かれている文体は見覚えのあるものだった。
(あれは…良子さんの文章…!!)
只野と二人で修正案を何度も出し合い、磨き上げた言葉の選び方。個性的な文体。
浦見はそれを、自分の文章として平然とリライトしている。

「すみません…」
比木がか細い声で話しかけると、浦見は冷ややかな視線を向けた。
「…何を書いているんですか?」

「私が考えた記事です。すみませんが部外者の方には見せられません」

良子さんの書いたものではないのか…?
気になった比木は編集長に聞いた。

「あの方が書いているのは…只野さんが書いていたものではないのですか?」

「…?いや、浦見くんが自分で考えた案をだと言っていたよ。彼女も優秀ですからね」


帰宅後、比木は記事を読み比べた。浦見の過去の記事、只野の過去の記事。そして今日見た浦見が書いていた下書き。
比木の考えは確信に変わる。
浦見は自分で考えた案を書いていると言っていたが、やはりあれは只野の未発表の記事を盗んだんだと。

比木は仕事の手伝いで只野から共有されていたIDを使って編集部の管理画面へ潜り込んだ。

管理画面のアクセスログを遡ると…
只野良子のIDによるログイン : 事件当日の数時間前

不審なログイン : 事件同日、只野が病院へ運ばれた後
IPアドレス 202.6.306.✕✕

只野の自宅とも、会社の固定IPとも違うアドレス。
比木は粟国に電話をかけた。

「もしもし、粟国刑事ですか。比木です。犯人を見つけたかもしれないです…」
比木は粟国に管理画面のログと、浦見のデスクで見た下書きが繋がっていることを説明した。

「わかりました。とりあえずその不審なログインのIPアドレスの場所を特定しましょう。何か分かったらまた連絡してください」


後日、粟国から連絡があった。
「アクセス元は浦見亜心の自宅とわかりました。しかし、これだけだと只野さんを殺害したのが浦見亜心とは断定できません」

比木は答えた。
「僕に考えがあります。粟国刑事、手伝っていただけませんか」


比木は編集長伝いで浦見に会って話がしたいと電話をした。
比木は只野と二人の思い出の場所、自宅に浦見を招き入れた。

比木は震える手を膝の上で握り、浦見に向き合った。
浦見の後ろ、ベランダの窓から差し込む夕日はどこか只野の温かさを思い出させた。
(良子さん、見守っててください)
決意を固め口を開く。
「浦見さん、この間書いていた下書きを見せてもらえませんか」
浦見はため息をついて気だるそうに言った。
「前も言いましたが、部外者には見せられません。只野さんの知り合いだからといってもだめです」

「あれは、良子さんの文章です」
「文章の癖、僕と良子さんが話し合い決めた言葉。あなたが今、自分の手柄にしようとしているのは、彼女が残してくれた思い出なんです。」

浦見は睨むように比木を見つめた。
その瞳には、隠しきれない濁った嫌悪感が渦巻いていた。

「…だから何?彼女はもういない。死んだ人間のアイデアなんて放置しておけばゴミになるだけ。私が有効活用してあげているんだから、感謝してほしいくらいよ」

「あなたは彼女を恨んでいたんですね。仕事の成績だけじゃなく、彼女が誰にでも優しかったから」

比木は只野の日記に書かれていた浦見を心配している一節を思い出し、胸が締め付けられた。

「良子さんは、誰にでも光を与える人だった。でも、光が強すぎると、その横にいる人は自分の影がどんどん濃くなるのが怖くなる。……あなたは、自分の影を見たくなくて、光そのものを消したんだ」

その瞬間、浦見の表情が一変し、ガタッ!と椅子が激しく音を立て、立ち上がり、机に手をついて、比木に向かって怒鳴った。

「光?笑わせないで!あの女の善意が私にとってどれほど屈辱かあんたにわかる!? 「浦見さんも頑張ってるね」「無理しないで」……何様のつもりよ!必死で這いつくばって数字を出している私の横で、あいつはニコニコしながら全部をかっさらっていく!あいつがいる限り、私は一生「二番手」のままなのよ!」

浦見の狂気じみた声が部屋に響く。

「だから終わらせてやったのよ。久しぶりに浦見さんとティータイムできるって自分がどうなるかも知らずに喜んでいやがったがね。何も知らずに私が毒を仕込んだクッキーを嬉しそうに口に運んでいたわ。」

浦見は狂ったように笑い声を上げる。

「あいつの幸せそうな顔を見ながら、心の中でどれだけ嘲笑ったか……!ああ、せいせいするわ。あいつの居場所も、仕事の栄光も、人生も!!全て奪い取ってやったわ!」

比木は吐き気を必死に堪え、震える声で告げた。
「……全部、録らせてもらいました」

比木がボイスレコードを握りしめた手を見せると、浦見は血相を変えてカバンからペンを取り出し、比木に襲いかかろうとした。
「……お前も生かしておかないぃ!!」

ベランダに隠れていた粟国が振り上げた浦見の腕を掴み、手首を捻り上げて床に押さえつけた。
「全て聞かせてもらった。浦見亜心」


逮捕後、浦見亜心は罪を認めこの事件は幕を閉じた。


季節は巡り、比木は只野の墓前で手を合わせていた。
「良子さん、あなたと出会ってからの日々はとても明るく楽しかった。僕に光を与えてくれてありがとう。あなたが教えてくれた外の世界に少しずつ慣れて行こうと思います。どうか安らかに」

只野への報告も終わり、帰ろうと立ち上がった時、見慣れた顔がこちらに向かって歩いて来ていた。

「只野さんへの報告ですか?」

「はい、粟国刑事」

「それで比木さん、私の提案受けてもらえますか?」

「警察の外部協力者の話ですか…」

「ええ、優れた観察眼にホワイトハッカー並の情報収集、それにあなたは遺された者の痛みを知っている。様々な事件解決に役立つと思うんですよ

「返答はもう少し待ってもらえませんか。まだ外にも慣れていないので…」

「そうですか…いつでも良い返事を待っていますよ」

太陽が燦々と輝いていた。
それはまるで只野良子が笑っているようだった。
空を見上げた比木の心は少し軽くなっていた。

コメント

  1. こんばんは。
    文章をこれだけ創作出来ることは素晴らしいなと思います。
    当たり前ができない方にはこれだけ文章が浮かぶのは才能だと思います。
    生きてることにはどんな状態であれ無駄なんてないので書き溜めておくとのちのち、役に立ちそうですよ。マイペースで行きましょう

    返信削除

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