私がイベント事を忌避する理由
私は季節ごとのイベントや自分の誕生日が嫌いです。
今回は、私がなぜこれほどまでに行事ごとを忌避するようになったのか、その理由についてお話ししようと思います。
1.現実を突きつけられる
引きこもり生活が長くなるにつれ、自分の未来について考えるのが億劫になってしまった。
「現状がこんななのに、先のことなんかわからないよ」と嘆くことばかりで、今を変えようとせず、現実逃避をして、ただ時が流れていく日々を過ごしている。
しかし、イベントという節目は、私が考えないようにしている「時の流れ」を強制的に突きつけてくる。
そのたびに「もうそんな季節か…自分は何やってんだろ…」「この先ずっとこのままなのか…」「どうすんだ…自分」といった不安や焦りが、心の底から滲み出てくる。
やり場のない気持ちに押しつぶされそうになり、マイナスな思考を止めるためにただひたすら眠り続ける。
ここ数年、私はこの繰り返しの中で過ごしている。
2.ひねくれた考え
クリスマスやハロウィンは日本の文化ではないのだから、「要らないだろう」と思う。
かつて、クリスマスプレゼントを貰える年齢までは、私にとっても嬉しいイベントだった。
ケーキやチキンを囲み、プレゼントを貰った子供たちが喜ぶ姿は微笑ましいものだと思う。
しかし、今の私にとって、これらの行事は不安や焦りといった嫌な気持ちを引き起こすトリガーでしかない。
最近では「企業などが自社製品を売りたいがために、何でもない日をイベント日に仕立て上げ、ガッポガッポ稼いでる」といった、ひねくれた考えを持つようにもなった。
3.回避不能な「強制イベント」
ただ自分が行事ごとを意識せずに過ごせればいいだけの話に思えるが、現代社会でそれは容易ではないと思う。
街を歩けばイベント用に装飾された店が並び、商品のパッケージまでもイベント仕様に包装されている。
私は引きこもりだが、テレビやインターネットでもそういった物は視界に入ってくる。
私にとって行事ごととは、嫌な気分になるしかない「回避不能な強制イベント」でしかない。
4.何年生きてもそのうちはほぼ引きこもり
希死念慮が湧き出てから、誕生日はただの苦痛なものへと変わってしまった。
何歳になったと言われても、自分の人生の大半は部屋に引きこもっていただけ。
その期間に何かを生み出したことも、得られたこともない。
ただ、空っぽで暗い日々を過ごしただけでしかない。
そんな日々を過ごしていると「生まれてから何年経ったことが、一体何がめでたいのか?」「さっさと人生を終わりにしたい」と思うようになり、何が良くて祝うのかわからなくなった。
現状にもがき続けている自分としては、誕生日は「あなたはこの1年間、何もせず、変わらず引きこもっていた」と明示された気持ちになる。
自分の誕生日を嬉しく思えないため、他人の誕生日に対しても、お祝いの気持ちを抱くことが難しくなっている。
5.純粋にその時を楽しめる方が良い
イベントや行事は、私のようにひねくれた考えを持って嫌悪感を示すのではなく、ただその瞬間を純粋に楽しめる方が人生を楽しく過ごせると時折思う。
その思い出が人生を豊かに彩るとなんとなくわかってはいる。
ただ、そう思えるようになるには、まだ長い時間が必要そうだと感じる。
当分の間は、これらを「避けることができない嫌な強制イベント」として、なんとかやり過ごすしかない。
6.おわりに
暗い考え方を持つと、楽しいこともつまらなくしてしまうと思いました。
しかし、そう簡単に考え方を変えることはできないともわかってはいます。
明るい考え方を持てるようになりたいとは思うが、今の自分には、まだ「行く先を照らすライト」を身につけるまでには至っていない。
誕生日なんて1歳、歳を取るだけケーキを自分で買って周りがおめでとうと言うだけの日プレゼントを貰う歳が終わりを告げた時から年齢は数え無くなる。
返信削除自分に何をおめでとうと言うのか分からないでもみんながおめでとうと言うからありがとうと言うそれが誕生日。
季節は美味しい物が食べれればそれでいい。暑くても寒くてもそういうものだとしか思わない。それが季節、だから進んで行った人を見ると自分が取り残されたように感じる。