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共感は時に人を傷つける

両親や行政の相談員に自分の現状を話すと、共感されることがある。 しかし、その共感は私にとってマイナスにしか受け入れられない。 今回は、私が感じた「共感」という優しさの裏に潜む、ある種の「凶器性」についてお話ししようと思います。 1.両親、相談員による共感 例えば、視界に黒い点が見えることを話すと、父は「父さんもよく目を瞑るとアメーバみたいなのが見えるよ」と返される。 自分もそれは見えるが、私が言っていることとは違う。 私が言っているのは、ふとした拍子に視界の端の壁に、ハエのような小さな黒い点が見えるが、 瞬きをすると消えること。 母との会話でも 「何に対してもやる気が起きない」と漏らすと、 「お母さんもそういう時あったよ」 と言う。 何に対しても、 「私たちもそういう時あった」 「そのうち変わるよ」 「誰しもそういう考えあるよ」 「同じ同じ」と返される。 これらが優しさからなのか、私の不安を取り除きたい一心なのかはわからない。 けれど、無理に共感して「Hは普通だよ」と思い込ませようとしているように思えてしまう。 行政の相談員との会話も、ただひたすら共感されるだけで1時間が過ぎていく。 三兄との相部屋が辛いと漏らせば、 「一人部屋じゃないとなかなか気が休まらないですよね。Hさん、早く一人部屋になれるといいですね。そうすれば何か良くなるかもしれませんし」と返ってくる。 相談員の態度や口調が高圧的だということは決してないが、 この共感には、「一人部屋になったら、今までの怠け腐った生活をさっさと変えろよ」と脅されている気分になる。 また両親に貸しているお金の話でも 「このままだとご両親は全額返してくれるか分からないんですよね。月にいくらって返済額を決めた方が良いと思うんですよ」と助言される。 これに関しては、「貸しておいてちゃんと返金してもらう手立てを考えていなかったんだね。軽率だね。バカだね」と、自分の行いを貶されているように思えてしまう。 2.普通という枠に囚われる 自分は相手の言葉の裏を考えてしまい、悪いように受け取ってしまう。 だから、共感されることでかえって傷つくのだと思う。 自分としてはどちらかと言えば共感してほしいのではなく、「H、お前は普通じゃない」と認めてほしいのかもしれない。 むしろ自分が普通なら、なぜ働きもせず一日中引きこもっているのか、これのどこが普...

「楽しい」で終われない私のお酒

お酒を飲むとこの世から去りたくなる。 飲んで酔いが回り始めると気分が良いのだが、ふとしたときに「なんで自分なんかが酒を飲んでいるんだろう」「なんで生きているんだろ」とマイナスな考えを抱いてしまう。 今回は、酔った際に生じる「負の感情」についてお話ししようと思います。 1.母とは杯を酌み交わしたくない 私は毎晩晩酌するわけではなく、土曜日の夜に両親と嗜む程度。 父が先に寝て母と二人で飲むと、決まって私の現状についての話になり、口論 に発展しまうことがよくある。 母から「何かやりたいことはないの?」「アルバイトでもやってみたら?」「外に出てみたら?」などといろいろ言われる。 親なので心配してくるのはわかるが、せっかくお酒を楽しんでいるときにそんな話はしないでほしいと思う。 母にしてみれば、そんな時にしか私が話をしないというのもあるのだろうが。 母も酔っているので、自分の考えを押し付けてくる。 私も私で、自分の思いをぶつけてしまう。 シラフであれば面倒くさいと思って受け流すことができるが、酔っているとどうしても私も食ってかかってしまう。 最終的には、母のお決まりの逃げ言葉「私は女だから(あなたのことは)わからない」と言い喧嘩になる。 2時間以上も話し合った末、そんな結論で終わるのは私としては腑に落ちない。むしろ不服である。 「じゃあ、性転換でもすればいいのか」と言い返したくなる。 2.断酒の決意 一時、お酒を飲まなくなった出来事があった。 2025年7月、酷く酔った私は、母に対して一方的に不満を爆発させた。 その時の私は自暴自棄になっており、衝動的に自分の存在を消し去りたいという思いに駆られ、取り返しのつかない行動に出ようとした。 危ういところで母に止められ、事なきを得たが、一歩間違えればという状況だった。 その後も感情の歯止めが利かず、さらに自分を傷つけようと試みたが、幸いにも軽い傷を負うだけで済んだ。 泥酔した私は、そのまま台所の床に崩れ落ち、醜態を晒しながら母の前で泣き喚いた。 その夜は、汚れを落としてから這うようにして眠りについた。 翌日、母は「飲み過ぎたんだよ。私止めれば良かったね、ごめんね、でも楽しかったよ、また飲もうね」と声をかけてくれた。 しかし私は、自分はお酒を飲まない方がいいと痛感し、それ以来、お酒を断つことにした。 3.飲酒解禁 しかし2026年1月...

憂鬱な年末年始

2026年始まってしまいました。 私はイベント事が嫌いですが、その中でも年末年始は特に気分が落ち込みます。 今回は、イベント事の中でも特に嫌いな年末年始について話そうと思います。 1.強制的に振り返らされる 年が変わる際、「去年一年はどうだったか」と強制的に振り返らされる。 そして「 何もない空っぽな一年だった」と悲観してしまう。 現実逃避をしていても、年が変わるという事実は、より時間の進みを感じる。 他のイベント事に比べ、年末年始は関わらないようにしても、どこかで突きつけられる。 テレビの年末年始特番、ネットを開けば「一年ありがとうございました」「一年を振り返る」といった文言が嫌でも目に入り、世の中全体が勝手に一区切りをつけようとしてくる。 年末年始は、特に避けることができないイベントだと思う。 何も成していないため時間を進ませたくないが、そんなことできない。 自分だけ2025年に留まることなんてできないし、 ぼくなつの8月32日みたいなこと現実では起こせない。 というか、一人だけ存在しない日にちとか怖いし… そんなの怖くちぇ漏らちてちまう… 2.昔はこれほど悲観することはなかった 「私がイベント事を忌避する理由」でも話したが、引きこもりになる前は他のイベント同様に年末年始を嫌うことはなかった。 小学生時代、大晦日から年明けまでは毎年決まった流れがあった。 ・大晦日 年末特番を見ながら家族と一年の最後の数時間を過ごし、 23時頃に両親と除夜の鐘を撞きに寺へ向かう。 道中、父は必ずコンビニでフランクフルトを買い、 私と母は温かい飲み物を買ってポッケに入れ、暖を取る。 寺に着くと行列の最後尾に並び、 途中で配られる甘酒をいただく。 私は一口飲めば満足なので、残りは父に渡す。 一歩ずつ鐘撞き堂へ近づき、 私たちの番になり、鐘を撞く。 それから本堂に参拝して寺を後にする。 その後、地元の神社二ヵ所へ参拝して帰宅。 ・元日 昼過ぎに家族と顔を合わせ、「今年一年もよろしくお願いします」と挨拶をしておせちをいただく。 ・二日 父方の祖父の命日のため、墓参りへ。 その後、元日にはいなかった家族も参加し、昼から夜まで食事会が開かれる。 この時に子供の稼ぎ時、お楽しみのお年玉配布がある。 ・三日 母方の祖父母、伯母が家に来て食事をする。 この日に母方の祖父母、伯母からお年玉をいただく...

視線を感じたらガンを飛ばせ!弱者による、弱者のための外出ハック

私が引きこもりになった根本的な原因は病気ですが、引きこもりをより加速させた要因があります。 それは他人の視線に対する恐怖です。 今回は、私がなぜ外に出られなくなったのか、そしてその恐怖をどのようにして克服したかについてお話ししようと思います。 1.ゾンビのような肌と、他人の視線 病気になってからは体調が優れず、寝て過ごす日々を送るようになった。 外出せず日光を浴びない生活が続いた結果、久々に外に出て太陽光に照らされた自分の腕は、まるでゾンビのように不健康な白さになっていました。 また父方の祖母からは「Hは肌が白いね。女の子だったらよかったのにね」と今だったら少しアウトな発言をされたこともあった。 たまに通院などで外出すると、すれ違う人の視線を感じることがあった。 「平日の昼間に子供が出歩いているなんて、きっと不登校なんだ」と蔑まれているような気がしたり、「私の肌が白いからジロジロ見てくるんだ」と思い込んだり。 その視線が怖くなり、より一層、家に閉じこもるようになった。 どうしても避けられない法事などの行事で外出する際は、家族の背中に隠れるようにして、体を縮こませながら歩いていた。 2.ニート戦士ダメ人間 逆襲のH この恐怖に対する考え方が変わった転機として、「見てくる人が自分に直接何か言ってくることはない」とふと気がついたことだった。 たとえ視線を感じたとしても、すれ違った後にわざわざ振り返ってまで確認してくることはない。 そう気づいた時、そこまで気にする必要はないのだと思えるようになった。 それから私は開き直った。 「見られるのは何かやられっぱなしのように感じて癪だ。どうせならやり返してやろう」と考え、視線を感じたらむしろ睨み返すことにした。 最初は「なにガンつけてんだ!このクソガキ!」と怒鳴られるかもしれないといった恐怖心があったが、家族と一緒の時に「俺にはバックアップ(家族)がいる。もしもの時は家族を囮に残して逃げよう」と弱者ムーブで挑戦してみた。 意外にも、奴らは睨み返されるとすぐに目線を逸らす。 それに気づいてからは「なんだ、大したことないじゃん」と手のひらを返し、 視線を感じたら睨み返すようになった。 そのたびに心の中で「フン!!オレの勝ちだ!」と、まるでゲーム感覚で考えるようになり、家族の背中に隠れながら歩くことも減った。 さらに、「俺がこの世界の主人...

青春コンプレックス、失われた時間による呪縛

青春コンプレックスとは 自分が経験できなかった「学生時代の青春」を、他の者が享受していることに対して抱く劣等感。 今回は、ここ数年で私の中に芽生え始めた負の感情、「青春コンプレックス」についてお話ししようと思います。 1.不登校の経験が生んだ、数年越しのデバフ 私にとってのこの感情の根源は「もし不登校にならなければ、今の暗い自分にならずに済んだのに」という、終わりのない後悔にある。 街中で学生を見かけると、自分の空白の過去を思い出してしまい、どうしても悲観的な思考に陥ってしまう。 学生たちは何も悪くはない。 彼らはただ、今という時間を謳歌しているだけだ。 それなのに、「その青春を私も経験できたかもしれない」と、今さらどうしようもない仮定を、呪文のように繰り返してしまう。 現実だけではなく、学園を舞台にしたフィクション作品に対しても、青春コンプレックスを感じてしまう。 「面白そうだな」と興味を持って見始めても、結局はキャラクターたちの眩しさと自分との差に打ちのめされるだけ。 誰かに感想を求められても、作品の良し悪しではなく、自分の内側に湧き出たドロドロとした愚痴しか出てこない。 フィクションだと分かっていても、「こんなクラスメイトがいるなら、俺も不登校にならず学校行ってたよ」と、虚しい独り言のような愚痴をこぼしてしまう。 2.対処法のない苦しさ 現状を変えようと、1カ月ほど週に一度の散歩を試みたことがあった。 しかし、下校中の学生たちが楽しげに話す姿や、風に乗って聞こえる部活動の音が、自分の過去を思い出させ、悲しくなってしまう。 結局、その辛さに耐えきれず、散歩をやめてしまった。 平日に外を出歩けば、嫌でも学生の姿が目に入る。 この先、学生を見たときに生じるこの青春コンプレックスへの対処法を見つけられない限り、外に出ること自体がさらに億劫になっていくだろう。 もう不登校だった6年間は、帰ってこない。 自立した生活を送れるようになれば、このコンプレックスは消えるのかもしれない。 しかし、今は何に対しても気力が湧かず、将来を考えても不安や悲観的な考えしか頭に湧かず、嫌になってしまう。 「気づいた時には、数年経っているかもしれない」 そう考えると、より不安や恐怖が心の底から滲み出て、何も考えたくなくなり、思考を停止させたくなってしまう。 3.「青春」という名の幻想 私は青春...

散歩への挑戦と挫折

今回は、1カ月間にわたって「週に一度の散歩」に挑戦し、その中で感じたこと。 そして「散歩を止めよう」と思い立った経緯についてお話ししようと思います。 1.散歩を習慣にできない理由 引きこもりになってからも、年に数回は散歩に出かけることがあった。 もともと歩くこと自体は好きだった。 しかし、散歩をしていると「話し相手が欲しい」と孤独を感じたり、お店を見ては 「お金があれば何か買えるのに」と自分の現状を突きつけられて、どうしても暗い気持ちになってしまうことがあった。 そんなことが続き、いつしか散歩への意欲がなくなった。 2. 2025年4月、再挑戦 きっかけは2025年4月。 配信中にリスナーから「桜を見に散歩してみたら?」とコメントをもらった。 その時は気力もあり、「配信で話すネタにもなる」と思い、散歩をしに外へ出た。 ネットで「太陽光を浴びるとセロトニンが分泌されて気力が出る」と見たのも後押しになった。 ここ数年桜を見ることもなかったため「気分転換にもなるかな」と思い、外へ出る気にもなった。 桜自体に特別な思い入れはない。 むしろ「別れや出会いの季節」というイメージが強く、 別れも出会いも経験せず不登校だった暗い過去を思い出して、気が病んでしまう。 それでも「このまま引きこもっていても何も変わらない」と思い、 水筒とスマホを持って散歩に出かけた。 向かったのは、昔住んでいた家の近くにある、桜並木の美しい川沿い。 道中、自販機を見かけると、缶ジュース一本の値段が小学生の頃より20円ほど値上がりしてることに気がついた。 美味しそうな飲み物があっても「自分は無収入だから、お金を使っても減るだけだし、水でいいや」と水筒の水を飲みながら歩き続けた。 目的の川沿いに着き、桜を見て「綺麗だけど、やっぱりなんか悲しくなる」と思いながらも配信のサムネイルに使うための写真を撮った。 川の水面には桜の花びらが絨毯のように流れていた。 とても綺麗だったが、「 この美しい景色を一緒に見て、共感できる人がいたらいいのに」と、また悲しくなった。 3.成長と、悪化した心 それから少し遠回りをして、小学校低学年の頃に住んでいた家を見に行った。 私たち家族が住んでいた家は跡形もなく、綺麗なアパートが建っていた。 三兄とキャッチボールをした家の前の道が、自分が思っていたよりも幅が狭かった。 道幅が狭くな...

私がイベント事を忌避する理由

私は季節ごとのイベントや自分の誕生日が嫌いです。 今回は、私がなぜこれほどまでに行事ごとを忌避するようになったのか、その理由についてお話ししようと思います。 1.現実を突きつけられる 引きこもり生活が長くなるにつれ、自分の未来について考えるのが億劫になってしまった。 「現状がこんななのに、先のことなんかわからないよ」と嘆くことばかりで、 今を変えようとせず、現実逃避をして、ただ時が流れていく日々を過ごしている。 しかし、イベントという節目は、私が考えないようにしている「時の流れ」を強制的に突きつけてくる。 そのたびに「もうそんな季節か…自分は何やってんだろ…」「この先ずっとこのままなのか…」「どうすんだ…自分」といった不安や焦りが、心の底から滲み出てくる。 やり場のない気持ちに押しつぶされそうになり、マイナスな思考を止めるために ただひたすら眠り続ける。 ここ数年、私はこの繰り返しの中で過ごしている。 2.ひねくれた考え クリスマスやハロウィンは日本の文化ではないのだから、「要らないだろう」と思う。 かつて、クリスマスプレゼントを貰える年齢までは、私にとっても嬉しいイベントだった。 ケーキやチキンを囲み、プレゼントを貰った子供たちが喜ぶ姿は微笑ましいものだと思う。 しかし、今の私にとって、これらの行事は不安や焦りといった嫌な気持ちを引き起こすトリガーでしかない。 最近では「企業などが自社製品を売りたいがために、何でもない日をイベント日に仕立て上げ、ガッポガッポ稼いでる」といった、ひねくれた考えを持つようにもなった。 3.回避不能な「強制イベント」 ただ自分が行事ごとを意識せずに過ごせればいいだけの話に思えるが、現代社会でそれは容易ではないと思う。 街を歩けばイベント用に装飾された店が並び、商品のパッケージまでもイベント仕様に包装されている。 私は引きこもりだが、テレビやインターネットでもそういった物は視界に入ってくる。 私にとって行事ごととは、嫌な気分になるしかない「回避不能な強制イベント」でしかない。 4.何年生きてもそのうちはほぼ引きこもり 希死念慮が湧き出てから、誕生日はただの苦痛なものへと変わってしまった。 何歳になったと言われても、自分の人生の大半は部屋に引きこもっていただけ。 その期間に何かを生み出したことも、得られたこともない。 ただ、空っぽで暗い日々...

家庭金融伝・闇金H君

今回は家族に貸すことよって増やしたお金については話そうと思います。 1.手元にない大金 私は50万円近くのお金を持っている。 持っていると言っても手元にはない。 「無職で今まで働いたことがない私が、どうしてそんなにお金を持っているのか」と不思議に思うかもしれない。 実は、今まで家族からもらったお金をコツコツと貯めてきたからである。 2.資金源のルーツ 私がどうやってお金を集めたのか、主な方法は以下の通り。 ・お年玉 言わずと知れた子供時代、最大の稼ぎ時、正月。 自分のお金の大半はお年玉によって得たと思う。 両親、祖父母、叔母、兄などから頂いたものをすべて貯金していました。 ・お手伝い賃 父のDIYや白菜の漬物作りなどで、1日1,000円貰えることもあった。 この頃はおそらく、我が家の金回りがよかったんだろう。 また、日常の家事でも稼いでいました。 夕飯前の食器並べや、両親の晩酌で使う炭酸水の準備などで1日あたり100円を得ていた。 最初は1作業10円だったが、作業日報を書くのが面倒になったので、「1日100円」で取引先(母)と契約を結んだ。 これを粉ミルクの空き缶に貯金し、1年かからないで22,000円を貯めた。 ちなみに粉ミルク缶1/3ほどで硬貨貯金に飽きたが、 満杯だったら10万円は越えていたのではないだろうか。 ちなみ10円貯金は1年ほどで2,000円ちょいだったと記憶している。 ・散髪代の余り 中学生の頃から、1カ月半一度通う床屋の「散髪代のおつり」も貯金していた。 親から散髪代を貰っていたのだが、毎回親に「おつりはあげる」と1回200円貰っていた。 自分の所持金から端数の100円硬貨2枚を払うとおつりはなんと500円硬貨1枚になる。 500円貯金もしていたが、豚の貯金箱が満杯になる前に母から「お金貸してほしい」と言われ、仕方なく貯まりたての500円玉達を貸し渡した。 500円貯金は豚の貯金箱がすかすかの状態だったのでそんなには貯まっていなかった。 母に「貸してほしい」と言われた時点で2万円ちょいだったと記憶している。 硬貨貯金は100円貯金に飽きたときにすべてやめた。 これら以外にも何かしらで貰ってはいたが、おおよそはこんな感じ。 ・お小遣いは貰っていない 引きこもり不登校だったこともあり、月々のお小遣いはあまり貰っていなかった。 そもそも外に出ないから使...

思考の悪い癖「後悔」

自分の過去、特に学生時代については後悔ばかりしてしまいます。 今の私にとって後悔とは、気づきを与えてくれるものではなく、ただ気分を落ち込ませるトリガーでしかない。 そう分かっていても繰り返してしまう悪い癖が私にはあります。 今回は自分の悪い癖「後悔」について話そう思います。 1.夢によって後悔に苛まれる 現実に起きたことは過去のことだからと考えないようにしても、夢に出てきて苦悩する。 最近の出来事が夢に出てきても大丈夫だが、学生時代の光景が舞台になると悲しくなる。 夢の中の出来事なので、ほとんどが存在しない記憶だ。 それでも、 もしあの時学校に行っていれば経験できたかもしれない「ifの世界」を見せつけられるのはとても苦痛でしかない。 そんな夢を見た朝は、決まって気分が落ち込む。 布団から出ようとせず、現実逃避のために、ただひたすら寝続けてしまう。 2.主な後悔 私の学生時代には、それぞれの後悔がこびりついています。 ・小学生時代 :  痛み止めを飲んででも、学校に行ける日には行けばよかった。 ・中学生時代 : 不登校でもいいから、せめて勉強だけは頑張っていればよかった。 ・高校生時代 : 学業だけに専念するのではなく、人間関係を築けばよかった。 学校生活に慣れてきたら部活に入ればよかったし、 学業に嫌になってもやめなければよかった。 もっと、学業以外の何かを楽しめばよかった。 「◯◯しとけばよかった」だらけの学生時代。 何か一つでも「あの時こうしててよかったな」と学生時代の出来事で思えることがあればいいのだが、今の私には何も見つけられない。 3.タラレバばかりしてしまう 過去を悔やんでも変えることはできず、先にしか活かせないとわかっていても、考えてしまう。 タラレバは過去の自分を否定しているように感じる。 その当時の自分は、ただのほほんと過ごしていたわけではなく、様々な苦悩や経験があったとわかってはいるが、その結果が今の自分だと思うと、やはりタラレバをしてしまう。 最近では日常の些細なことでも「タラレバ」をしてしまう。 「早く起きていれば、アニメがもう一話観れたのに」といった、「もう少し早くなにかをしていれば」という考えても意味がないことを考えてしまう。 4.思考の癖への解決法 引きこもりになってから、自責の念を持つようになり、そこから後悔ばかりするようにな...

消えない曇天「希死念慮」

※この話には「自殺」に関する表現が含まれます。苦手な方は閲覧をお控えください。 また、本記事は読者に対して自殺を助長・教唆するものではありません。 私は不登校になって以来、自殺を考えるようになった。 今回は不登校になってから今日まで、常に私の頭の片隅に存在し続けている曇天、「希死念慮」についてお話ししようと思います。 1.言葉の裏に隠れた心配 不登校になってから、父と父方の祖母に「はやく学校に行け!」などと厳しいことを言われるようになった。 今となっては、それが心配からくる言葉だと理解できる。 しかし、当時の私は学校へ行けないことへの自己嫌悪や病気への不安など、さまさまな要因に悩まされていたため、父や祖母の言葉の裏を読み取る余裕はなかった。 むしろ、その言葉をそのまま受け入れ、ますます自分を責めるようになった。 両親が私とは関係のないことで喧嘩をしている時でさえ、「私が学校に行かないせいで喧嘩しているんだ」と思い込み、自分を責め続けていた。 2.芽生え始めた自殺願望 自己嫌悪に陥り、「自分には存在する価値がない」と感じて、死にたいと思った。 両親の不在の際、台所で包丁を手に取り、自分のお腹に当てたが、怖くて刺すことができなかった。 包丁を元の位置に戻し、 家族に気づかれないよう声を押し殺して、布団の中で泣いた。 カウンセリングには通っていたが、医者に何を言われるか、あるいはどう思われるかが怖くて、自殺願望については話すことができなかった。 何度か実行しようとしたが、いつも「失敗した時のこと」が頭をよぎり、怖くて最後までやり切ることはできなかった。 3.家族への相談 ある時、親に「死にたい」と打ち明けた。 すると、親は「そんなこと、誰しも一度くらいは思ったことがあるよ」とあしらわれた。 誰しも死にたいと思うことはあるだろうが、実際に行動に移そうとする人はあまりいないと思う。 私の考えと家族の考える「死にたい」という言葉の持つ重みが違うと、この時にわかった。 また、「世の中には生きたくても生きれない人もいるんだよ」とよく諭されるが、私としては「なら、その人の人生を代わってあげたい」と思ってしまう。 家族が良かれと思って掛けてくれる助言は私には合わず、ただの「騒音」のように感じてしまう。 以来、家族に自殺についての相談は無意味だと思い、この事については話さなくなった。 そ...

私が老人を嫌いになった経緯と祖父母との思い出

私は老人が嫌いだ。 その原因は、父方の 祖母 と母方の 祖父である 。 今回は、私が老人を嫌いになった経緯や、祖父母との思い出についてお話ししようと思います。 1.煙たい人、父方の祖母 父方の祖母と は同居しているが、私が小学4年生になるまで一緒に食事をすることがなかった。 父いわく「あんたたちと一緒に食べるとテレビの音が聞こえない!」と 祖母 に言われたらしい。 私が小学4年生の頃に引っ越しをし、その家からは一緒に夕食を食べるようになった。 しかし、私が不登校になると、父と 祖母 は「早く学校に行け!」などと厳しいことを言うようになった。 祖母 は思ったことをはっきりと言う人なので、時折イライラすることがある。 もう少し丁寧な言い方をしてくれれば良いのだが、性格なのか気が利かないのか、私以外の家族と喧嘩になったり、怒られたりしている。 ・より嫌いになった出来事 最近では認知症が進み、私に対して「お金を盗んだ」「人の美容クリームを使ったでしょ」といった根拠のないことを言われることがある。「やっていない」と否定し、家族が「Hがやったって証拠あるの?」と聞いても、祖母は考えを改めず、「Hが盗んだ」と頑なに言い張る。 お金に関しては、祖母自身が酔っぱらった際に、自分で布団の下に財布を隠し、次の日にその事を忘れ、私に容疑を掛けてきた。 クリームに関してはわからないが、祖母の顔がでかいゆえに、使いすぎた現実を逃避したくて私のせいにしているのではないかと推測する。 そもそも、私が疑われる原因は何一つない。過去に祖母の物を盗んだりしたならまだしも、そういったことは一切ない。 また、私が祖母の部屋には一切入ることはない。 認知症が原因といえど、もともと嫌いな人間に根拠のない容疑を掛けられるのは、とても不愉快である。 こういったことから最近では祖母と顔を会わせたくない。 祖母が居間に来ると、喧嘩にならないよう、あえて自分が違う場所に移動する。 それに対して祖母は「かわいくない」などと私に向かって吐くが、私としてはわざわざ言われようがないことをなぜ受けなきゃいけないのかと言いたい。 2.楽観主義者、母方の祖父 母方の祖父 は能天気な人で、なんでも楽観的考える。 以前は特に 祖父 に対する不満は無かったのだが、 祖母 が亡くなってからは、文句の多い人だなと思うようになった。 ある時、父、...

二度と会いたくない人 S.K

私の人生で二度と会いたくない人が一人いる。 小学5、6年生の時の担任S.Kだ。 「不登校(小学生編)」を書いていて、S.Kに対する恨みが募ってきたので、書いて昇華しようと思います。 今回はそんなS.Kについて話します。 S.Kとの話は こちら 1.数年経っても消えなかった恨み 小学校卒業後は一度も会っていないが、S.Kのことは数年恨んでいた。 ・呪詛に近い、S.Kへの願い 人生のどん底を味わうような出来事が起きればいいのに、 平穏な日常がすべて崩れ去ってしまえばいいのに、 周りから理不尽な扱いを受ければいいのに、 この世のあらゆる不運を凝縮したような目に遭えばいいのに。 社会的な地位を失い、誰からも信頼されず、最悪の不運に見舞われればいい。 私が受けた傷と同等の報いを受けるべきだと、それほどまでに強く願っていた。 S.Kが担任でなければ学校に通うことができたとは思えない。 しかし、S.Kと出会わなければ、進級するたびに担任教師に対する不安を感じることはなかったと思う。 こいつは私の暗澹とした人生に、余計な不安材料を増やしやがった。 ただ、こいつからは「大人は誰しもいい人ではない」ということを勉強させてもらった。 それぐらいしか、こいつから学んだことはない。 2.三兄から聞いた数年後のS.K 実は、三兄が小学5、6年生の時の担任はS.Kだった。 私の担任がS.Kになったと聞くと、三兄は「S.K先生はいい先生だよ」と言っていた。だが、 実際はそんなことはなかった。 兄にとっては「いい先生」でも、私にとってはあまりにも反りが合わない、受け入れがたい人間だった。 三兄が大人になり、小学生の頃に学校行事で埋めたタイムカプセルを、同級生たちと一緒に掘り起こすために学校に集まることになった。 私もそのタイムカプセルに将来の自分への手紙を入れていたので、三兄に「Hも来るか?」と誘われたが、S.Kがいたら会いたくないので断った。 その後、三兄が私の分の手紙も持って帰ってきてくれた。 三兄から聞いた話だと、S.Kが来ていたそう。 掘り起こしが終わった後、三兄と同級生、S.Kで飲みに行ったらしい。 そこでS.Kが三兄に「Hくん、まだ病気良くならないの?心配してるのよ」などと、のうのうと言い放っていたらしい。 何を今になって心配しているのか知らないが、自分がしてきたことに対しては反省してい...

父への嫌悪感

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私は父に対して、少し嫌悪感を抱いている。 原因は、不登校なりたての頃に浴びせられた罵声の日々にある。 今回はいまだに私の中に残留する父に対する嫌悪感について話そうと思います。 1.私には甘い父 生まれた時から父が嫌いだったわけではない。 むしろ、私が幼い頃は、よく甘やかされていた。 私が幼稚園児の頃は、父の膝の上で夕食を食べていた。 ある日、私が食べ物で遊んでいると、父が「H、食べ物で遊んではいけないよ」と優しく注意した。 その時、私はムッとして、手に持っていた牛乳を父に向けて掛けた。 兄たちは、父は怒りっぽい人だと知っていたため、私が牛乳を掛けたことでちゃぶ台返しをすると思い、慌ててテーブルを押さえたらしい。 しかし、父は手拭きで顔を拭きながら、「H、食べ物を人に掛けてはいけないよ」と優しく注意して終わった。 兄たちは、父が怒らなかったことに驚いていた。 2.嫌悪感の芽生え 父に対しての嫌悪感が湧いたのは、 不登校になってからだ。 毎晩の夕食時、父と祖母(父方)から「早く学校へ行け!」「サボるな!」「具合が悪いなら治るまでずっと入院してろ!」といった言葉を浴びせられるようになった。 この時に父と祖母(父方)に対しての嫌悪感と恐怖心が湧いた。 その後、両親とカウンセリング等を受けてからは、父が私に刺々しい言葉を言うことはなくなった。 徐々に父に対しての恐怖心は無くなったが、今も嫌悪感は少し残っている。 3.平日に湧き出る父への不快感 平日、父が内職で家にいると不快に感じる。 父が居間にいると、水分も食事も摂らずにあえて自室で寝続けて過ごしてしまう。 特に何か言われるわけではないのだが、昔のトラウマなのか、顔を会わせないようにしてしまう。 休日なら問題なく会話できるのだが、平日の朝などは、挨拶や「朝は何食べるんだ?」などの言葉がうるさく感じてしまう。 私が「おはよう」と返せば良いのだが、声を張ることに慣れておらず、相手に届かなかった時のことを考えてしまい、無視することを選んでしまう。 また、朝食は自分で作ることが多いが、失敗した料理を見られて「あーだこーだ」と言われるのが嫌なので、父が居る時は自室で寝続ける選択をしてしまう。 平日の午前中、家族は仕事で居ないので何にも気を使わなくていい一人時間ができる。 その時間帯に父が居ると「私だけの時間」が無くなり、不快に感じてし...