散歩への挑戦と挫折

今回は、1カ月間にわたって「週に一度の散歩」に挑戦し、その中で感じたこと。
そして「散歩を止めよう」と思い立った経緯についてお話ししようと思います。

1.散歩を習慣にできない理由

引きこもりになってからも、年に数回は散歩に出かけることがあった。
もともと歩くこと自体は好きだった。

しかし、散歩をしていると「話し相手が欲しい」と孤独を感じたり、お店を見ては「お金があれば何か買えるのに」と自分の現状を突きつけられて、どうしても暗い気持ちになってしまうことがあった。

そんなことが続き、いつしか散歩への意欲がなくなった。

2. 2025年4月、再挑戦

きっかけは2025年4月。配信中にリスナーから「桜を見に散歩してみたら?」とコメントをもらった。

その時は気力もあり、「配信で話すネタにもなる」と思い、散歩をしに外へ出た。

ネットで「太陽光を浴びるとセロトニンが分泌されて気力が出る」と見たのも後押しになった。

ここ数年桜を見ることもなかったため「気分転換にもなるかな」と思い、外へ出る気にもなった。

桜自体に特別な思い入れはない。
むしろ「別れや出会いの季節」というイメージが強く、別れも出会いも経験せず不登校だった暗い過去を思い出して、気が病んでしまう。

それでも「このまま引きこもっていても何も変わらない」と思い、水筒とスマホを持って散歩に出かけた。
向かったのは、昔住んでいた家の近くにある、桜並木の美しい川沿い。

道中、自販機を見かけると、缶ジュース一本の値段が小学生の頃より20円ほど値上がりしてることに気がついた。
美味しそうな飲み物があっても「自分は無収入だから、お金を使っても減るだけだし、水でいいや」と水筒の水を飲みながら歩き続けた。

目的の川沿いに着き、桜を見て「綺麗だけど、やっぱりなんか悲しくなる」と思いながらも配信のサムネイルに使うための写真を撮った。

川の水面には桜の花びらが絨毯のように流れていた。
とても綺麗だったが、「この美しい景色を一緒に見て、共感できる人がいたらいいのに」と、また悲しくなった。

3.成長と、悪化した心

それから少し遠回りをして、小学校低学年の頃に住んでいた家を見に行った。

私たち家族が住んでいた家は跡形もなく、綺麗なアパートが建っていた。

三兄とキャッチボールをした家の前の道が、自分が思っていたよりも幅が狭かった。
道幅が狭くなったわけではなく、自分がそれだけ成長したんだと実感した。

体は成長したけれど、心はあの頃よりも暗くなった。
そんな自分に気づき、また悲しくなった。

悲しくなっても仕方がないし、目的の桜を見ることはできたから、家に帰ってお風呂に入って汗を流そうと思った。

久々の散歩は疲れたが、その疲労感がどこか前に進んでいるような気がして心地よかった。
悲しくなることばかりだったが、体を動かしたことや日光を浴びたことで少し気分が晴れた。

4.変わるための一歩として、1カ月続けた結果

「週に一回なら続けられる」と考え、それから1カ月ほど散歩を続けた。

多い時には18km近く歩くこともあり、父から「H、大丈夫か?迎えに行くか?」と心配の電話がきたこともあった。
私は「もう家の近くだから大丈夫です」と答えて無事に帰宅した。


散歩をしていると、下校する学生たちを見かけることがよくあった。
そのたびに「自分も学校に行っていれば、あんな風に友達と何気ない話をして、彼らみたいに青春を送っていたのかな」と自分の過去を悲観することがあった。

散歩は確かに気分転換になった。
けれど、どうしても学生を見かけるたびに辛く悲しい気持ちになり、徐々に散歩への気力はなくなっていった。

そして、散歩をしなくなった。

学生を見ても悲観的にならず、なんとも思わなくなるにはどうすればいいか、自分の中で対処法が見つかるまでは、散歩は止めようと結論を出しました。

5.おわりに

また気力が湧いてきた時は、散歩はせずに家でできることをしようと思っています。

歩くこと自体は嫌いではないです。
いつかは電車に乗って山へハイキングに行ったり、知らない街を散歩したいなと思っています。

そのためにはまず、電車賃を払えるように収入がないと…
そう思うと、先が思いやられる。

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