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イベント事が嫌い

私は季節ごとのイベントや自分の誕生日が嫌いです。 普段、現実逃避しているのに、イベントにより時の流れを思い知らされる。 そのたびに「もうそんな季節か…自分は何やってんだろ…」「この先ずっとこのままなのか…」 「どうすんだ…自分」と不安や焦りが心の底から滲み出てくる。 そして嫌になり、ただひたすら眠り続ける。 クリスマスやハロウィンは日本の文化じゃないから、要らないだろうと思う。 ただ、ケーキやチキンを食べて、子供たちは欲しいものを貰い喜ぶ。 私もクリスマスプレゼントを貰える歳までは嬉しいイベントだった。(我が家ではハロウィンは何もなかった) しかし、引きこもりになってからは、不安や焦りといった嫌な気持ちを引き起こす原因になった。 企業などが自社製品を売りたいがために、何もない日をイベント日にし、ガッポガッポ稼いでるとひねくれた考えを持つようにもなった。 誕生日は希死念慮が湧き出てからは「生まれて何年経ったってのが嬉しいのか?」「さっさと終わりにしたい」と思うようになり、何が良くて祝うのかわからなくなった。 現状にもがき続けている自分としては「あなたは1年間また変わらず引きこもっていた」と明示された気持ちになる。 自分の誕生日を嬉しく思えないため、自分以外の人の誕生日にもなんとも思えなくなっている。 イベントや行事などは、私みたいにひねくれた考えを持って嫌悪感を示すのではなく、ただその時を純粋に楽しめる方が人生を楽しく過ごせると時折思う。 暗い考え方を持つと、楽しいこともつまらなくしてしまうと思いました。 明るい考え方を持てると良いよね。

家庭金融伝・闇金H君

私は50万円近くのお金を持っている。 持っていると言っても手元にはない。 無職で今まで働いたことがない私が、どうしてそんなにお金を持っているのか不思議に思うかもしれない。 実は、今まで家族からもらったお金を貯めてきたからである。 そして貯めたお金を家族に貸して利息で増やしてきたからである。 初めは欲しいものがなかったので、お金を使わずに貯めていたが、父からお金を貸してほしいと言われ、優しさから貸した。 その後、母や兄たちにも貸した。 ある時、父に「そんなにいろんな人に貸すなら、利息でも取ったら?」と言われた。 私は「利息って何?」と聞いた。 お金を貸した対価としてお金をもらうことだと教えてもらい、それからは利息を取るようになった。 多い時には父、母、長兄、次兄、三兄それぞれに貸していた。 次兄、三兄に貸しても期日までに返してくれた。 長兄は期日を数年過ぎたが、返金時に利息に加えて色をつけてくれた。 父と母はたまに少額返してはまた少額借りてを繰り返し、一向に元金が減らなかった。 ある時、父に「俺の借金と利息はお母さんの方と一緒にして」と言われた。 母にそんなことしてもいいのかと聞いたら、それで大丈夫だと返ってきた。 最終的に母だけに貸すことになった。 返済日は借用日から8ヶ月ほどと約束したが、母に貸してからはもう4年以上経っている。 少しずつ返してはもらっているが、未だに半分も返ってきてはいない。 今は欲しいもの(PC)がある。 お金が戻り次第、PCを買おうと思っている。 最近また貯まりつつあるお金を貸すことになった。 今回は1ヶ月くらいでの返済予定で、 2倍にして返してくれると約束した。 また今年中に借金全額返すと母は言い出した。 (期待していないが…) 全額戻ってくるのはいつになるのかわからないが、 私の優しさを踏みにじることはしないでほしいと思う。

後悔

後悔に苛まれる。 過去のことだからと考えないようにしても、夢に出てきて苦悩する。 最近のことが夢に出ても大丈夫だが、学生時代のことが出てくると悲しくなる。 夢なのでほとんどが存在しない記憶なのだが、それでも嫌になる。 もし学校に行っていれば経験できたかもしれないと考えてしまう。 小学生時代は、痛み止めを飲んででも学校に行ける日には行けばよかった。 中学生時代は、不登校でも勉強を頑張っていればよかった。 高校生時代は、学業だけに専念するのではなく、人間関係を築けばよかった。 学校生活に慣れてきたら部活に入ればよかったし、 学業に嫌になってもやめなければよかった。 学業以外のことを楽しめばよかった。 過去を悔やんでも、変えることはできず、先にしか活かせないとわかっていても、考えてしまう。 タラレバは過去の自分を否定しているように感じる。 その当時の自分は、ただのほほんと過ごしていたわけではなく、様々な苦悩や経験があったとわかってはいるが、その結果が今の自分だと思うと、やはりタラレバをしてしまう。 希死念慮と一緒で後悔に一生悩まされるのか、 それとも自立すれば悩みは消えるのか、 先に進んでいないから悩まされるのか… 解決法がわからないが、悩みながらも先に進むしかないのか 今のところは解決法なんかいらないから、さっさと終わりにしたいと思ってしまう。 いずれは生きててよかったと思えるようになるのか… 終わらせられないから生き続けるしかない

二度と会いたくない人 S.K

私の人生で二度と会いたくない人が一人いる。 小学5、6年生の時の担任S.Kだ。 S.Kとの話は こちら 小学校卒業後は会っていないが、S.Kのことは数年恨んでいた。 事故に遭って苦しみながらシネばいいのに、 家が火事になればいいのに、 強盗に金品を盗まれればいいのに、 教員免許剥奪されればいいのに、 Hにしたように上司もしくは生徒から嫌がらせを受ければいいのに、 ヒモ男と1、2年付き合った後に振られればいいのに、 落雷に当たって苦しめばいいのに、 などとにかく嫌な目にあえばいいのにと思っていた。 S.Kが担任でなければ学校に通うことができたとは思えない。 しかし、S.Kと出会わなければ、進級するたびに担任教師に対する不安を感じることはなかったと思う。 (余計な不安材料を増やしやがって…) 実は、三兄が小学5、6年生の時の担任はS.Kだった。 私の担任がS.Kになったと聞くと、三兄は「S.K先生はいい先生だよ」と言っていたが、私とは 折りが合わなかった。 三兄が大人になり、小学生の頃に学校行事で埋めたタイムカプセルを、同級生たちと一緒に掘り起こすために学校に集まることになった。 私もそのタイムカプセルに将来の自分への手紙を入れていたので、三兄に「Hも来るか?」と誘われたが、S.Kがいたら会いたくないので、断った。 三兄が私の分の手紙も持って帰ってきてくれた。 三兄から聞いた話だと、S.Kが来ていたそう。 掘り起こしが終わった後、三兄と同級生、S.Kで飲みに行った。 そこでS.Kが三兄に「Hくん、まだ病気良くならないの?心配してるのよ」などとぬかしていたらしい。 何を今になって心配しているのか知らないが、自分がしてきたことに対しては反省していないような態度が気に食わない。 相変わらず自分とは折りが合わなさそうだなと三兄の話を聞いて思った。 そもそも私の心配とかどうでもいいから、私のことは忘れて欲しい。 関わりたくない人間に自分の心配をされていると思うと気分が悪い。 今までの人生で勉強しかしてこなかったのか、どうやって人と接してきたら、自分より下の人間にあのような態度を取れるのか、気になる。 あんな人でも教員になれることに疑問を抱く。 先生とは単に勉強を教えるだけではなく、人との接し方や物事への対処のしかたなど人間力を教える者だと私は思う。 しかし、S.Kが私に見せた対応...

希死念慮

私は不登校になってから、自殺を考えるようになった。 不登校になってから、父と祖母(父方)に「はやく学校に行け!」など厳しいことを言われるようになった。 今となっては、私が不登校になった際に父と祖母(父方)が厳しく言ってきたのは、心配からくるものだとわかるが、当時の私は、学校に行かないことへの自己嫌悪や病気に対する不安など、さまさまな要因に悩まされていたため、父や祖母(父方)の言葉の裏を読み取る余裕はなかった。 むしろ、その言葉をそのまま受け入れ、ますます自分を責めるようになった。 両親が私とは関係のないことで喧嘩しているとき、私が学校に行かないせいで喧嘩しているのだと考え、自分を責めるようになった。 自己嫌悪に陥り、自分は存在する価値がないと感じて、死にたいと思った。 両親がいない時に、台所で包丁を手に持ってお腹に当てたが、怖くて刺すことができなかった。 包丁を元の位置に戻し、 家族に気づかれないように声を抑えて自分の布団で泣いた。 カウンセリングを受けてはいたが、医者にはなんと言われるか怖くて、自殺願望については話すことができなかった。 何度か自殺をしようとしたが、いつも怖くて最後までできなかった。 ある時、親に死にたいと打ち明けた。 すると、親は「そんなのみんな一度思ったことがあるよ」とあしらわれた。 誰しも死にたいと思うことはあるだろうが、実際に行動に移す人はあまりいないと思う。 私の考えと家族の考える"死にたい"への重さが違うと、この時にわかった。 私は家族に自殺についての相談は無意味だと思い、この事については話さなくなった。 それでも、死にたいと思う気持ちは変わらず、苦しくなったときに死のうとするが、結局怖じ気づいて諦める。 三兄に「H、そんなことはしないでくれ!」 と泣きながら説得されたこともあったが、私には全く響かなかった。 死にたいと思い始めた頃は、もし自分が自殺をしたら家族が近所の人に嫌な目で見られたり、借家だから大家にお金を払わなければならないなどいろんなことが頭をよぎって、思いとどまることができた。 初めは自己嫌悪から自分は存在する価値がないと感じていた。 しかし最近では、周りのことがどうでもよくななり、とにかく逃げ出したいと強く思うようになり、自殺を考えるようになってしまっている。 最近、首を吊ろうとしたけれど、思いとどま...

老人が嫌い

私は老人が嫌いだ。 原因は 祖母 ( 父方 )と 祖父 ( 母方 )だ。 祖母 ( 父方 )は、同じ家に一緒に住んでいるのだが、私が小学4年生の頃まで一緒に食事をすることがなかった。 父曰く「あんたたちと一緒に食べるとテレビが聞こえない!」と 祖母 に言われたらしい。 私が小学4年生の頃に引っ越しをし、その家からは一緒に夕食を食べるようになったのだが、私が不登校になると、父と 祖母 ( 父方 )は「はやく学校に行け!」などと厳しいことを言うようになった。 祖母 ( 父方 )は思ったことをはっきりと言う人なので、時折イライラすることがある。 もう少し丁寧な言い方などをしてくれれば良いのだが、性格なのか気が利かないのか、私以外の家族と喧嘩になったり、怒られたりしている。 祖父 ( 母方 )は能天気な人で、なんでも楽観的考える。 私が小さい頃は特に 祖父 ( 母方 )に対する不満は無かったのだが、 祖母 ( 母方 )が亡くなってからは、文句の多い人だなと思うようになった。 父、母、私、そして 祖父 ( 母方 )の4人で昼食を一緒に食べようと、 祖父 を外食に誘った。 祖父 は豚カツが食べたいと希望し、父と母はお店を探していた。 私は 祖父 に寄り添いながら歩いていたのだが、 祖父 が「もうスーパーで豚カツ買って家で食べれば良いじゃないか」「こんなに歩く必要無いだろ」と言い出した。 私は あんた のために父と母が一生懸命お店を探しているのに、なんて無頓着なことを言うんだと思った。 私は思わず「じいちゃん家汚いから、あんなところで食べたくないよ。もう少し頑張って歩いて」と言った。 店を見つけて注文をし、料理が運ばれてがくると 祖父 ( 母方 )は夢中になって食べていた。 祖母 ( 母方 )はいいおばあちゃんだった。 夏休みに三兄と母方の実家に泊まりに行くのだが、 祖母 ( 母方 )は何をされても文句を言わない。 三兄と私が家の中で階段の上から 祖母 ( 母方 )に向かってボールを蹴ったが、 祖母 は「元気があっていいね!」と笑ってボールを返すだけだった。(私がそんなことされたらブチギレると思う) 母方の実家は駄菓子屋を経営していて、そこで売っている商品を食べても怒られなかった。 それどころかお土産用にお菓子の袋詰めまでさせてくれた。 (これに関しては 祖父 も文句は言わなかっ...

父への嫌悪感

私は父に対して少し嫌悪感がある。 生まれたときから父が嫌いだったわけではない。 むしろ、私が小さい時はよく甘やかされていた。 私が幼稚園児の頃は父の膝の上で夕食を食べていた。 ある日、私が食べ物で遊んでいると、父が「H、食べ物で遊んではいけないよ」と優しく注意した。 その時、私はムッとして牛乳を父に向けてかけた。 兄たちは、父は怒りっぽい人だと知っていたため、私が牛乳をかけたことでテーブルがひっくり返ると思い、慌ててテーブルを押さえていたらしい。 しかし、父は手拭きで顔を拭きながら「H、食べ物を人に掛けてはいけないよ」と優しく注意して終わった。 兄たちは、父が怒らなかったことに驚いていた。 不登校になってから、毎晩夕食の時間に父と祖母(父方)から「早く学校へ行け!」「サボるな!」「具合が悪いなら治るまでずっと入院してろ!」等言われてきた。 この時に父と祖母(父方)に対しての嫌悪感と恐怖心が湧いた。 両親とカウンセリング等を受けてからは、父が私に刺々しい言葉を言うことはなくなった。 その後、父に対しての恐怖心は無くなったが、未だに嫌悪感は少し残っている。 平日、父が内職で家にいると不快に感じる。 父が居間にいると、あえて自室で寝続けて過ごすようにしてしまう。 特に何か言われることはないのだが、昔のトラウマなのか、顔を会わせないようにしてしまう。 (休日なら問題なく会話できるのだが…) 父と二人きりでいるのが苦手というわけではない。 中学生の頃は、よく二人で釣りに行っていた。 会話をしながら釣具の準備し、釣りを楽しんでいた。 会話がぎこちないなどはなく、こんな感じだった。 H 「今日は寒いね」 父「着込んできて正解だった」 父「今日は何匹釣れるかな」 H 「数よりなんかデカイ魚釣りたいな!」 といった普通の会話をする。 (父が先に釣れると、釣れた魚を見せびらかしてくるのは今でも少し腹が立つが…) 父との楽しい思い出はたくさんあります。 電動アシスト自転車を購入したばかりの頃、2人乗りをして少し遠出をした際、帰り道にバッテリーが切れてしまい、二人で自転車を押して帰ったことなどもありました。 また、病気になり引きこもりがちになっていた私を心配して、旅行に連れていてもらったこともありました。 (この時、初めて新幹線に乗った) 年々、父に対しての嫌悪感は薄れてきていると思います...