投稿

時折、話し相手が欲しくなる

たまに話し相手が欲しくなる。 話したい具体的な内容があるわけではないけれど、人との繋がりが欲しくなる。 何でもない、どうでもいい雑談ができる相手が欲しくなる。 そんな状態になって、話し相手を欲してもいないのが自分の現状。 1.会話をしたくなっても、家族とは話したくはない ​会話がしたくなったとしても、家族と話したいわけではない。 母との会話は「働かないの?」「将来どうするの?」といった、取り調べのようなものばかり。 父は夕飯時、テレビに映ったものを見て「H、これ知っているか?」と聞いてくる。 それも、何回も聞いたことのある話ばかりで鬱陶しい。 例えば「酒蔵を見学するときは『朝ごはんに納豆を食べたか』って聞かれるんだってよ。納豆の菌が酒造りに悪影響を与えるかららしいぞ」という話。 これは体感で1万回くらいは聞いている。 三兄とは、そもそも会話をしない。 何がきっかけで喧嘩になるかわからないし、そもそも話したくない。 これと同じ理由で、祖母とも話さない。 一緒に住んでいる家族の中で、三兄と祖母のことは嫌い。 「いなくなれば良いのに」と日々思っている。 2.私には「友達」と呼べる人がいない 小・中学生時代は引きこもり不登校だったため、人付き合いなんてしてこなかった。 高校生時代は、青春なんかより「勉強第一」を目標に学校に通っていたため、人付き合いを避けていた。 当時は友達や話し相手が欲しいなんて思っていなかった。 こんな学生時代を送ってきたため、今、私には友達と呼べる人がいない。 ​今は人と話したいと思っている。 けれど、長い間人付き合いをしてこなかったせいで、いざ対話をするとなると「めんどくさい」と思ってしまうこともある。 話し相手が欲しくて配信を始めたが、結局人が来ることはほぼなく、一人喋りを1時間続けているだけの配信がメインとなっている。 一人喋りは楽しいが、本来配信を始めた理由である「誰かとの会話」をしたいとも思う。 けれどコメントをもらえない、 どうすればコメントをもらえるのかもわからないのが現実。 今まで、自分は孤独が性に合っている人間だと思っていた。 しかし、それはただの強がりだったのかもしれない。 3.理想の友達 ​もし話し相手ができたとしても、毎日話しかけられるのはめんどくさいと思ってしまう。 かといって、まったく連絡がないのも寂しい。 正直、自分でもど...

顔出しは自信の証

「インターネットに自身の顔を出している奴は、自分に自信がある」 これは私の持論であり、あるいは「偏見」と呼ぶべきものかもしれない。 なぜそう思うのか、その理由を書いてみようと思います。 1.「顔出し=自信」という持論 私が言う「自信」とは、単に「美人である」とか「容姿が整っている」といった話ではない。 ​たとえ世間一般でいう不細工であったとしても、それを自分の「アイデンティティ」として受容し、閲覧数や知名度の獲得に有利に働くと確信しているからこそ顔を出す。 それもまた一つの自信の形だと思う。 例えば、人より頭が長いことにコンプレックスを抱いている男がいるとする。 本人は面長であることを恥ずかしいと思っているかもしれない。 しかし、その容姿にしかできないこともあると気づければ、それを利用しようと考える。 ​「この頭の長さを活かして、フランケンシュタインのコスプレをしよう」といった具合に。 これこそが、私の考える「顔出し=自信」の正体である。 2.自信というよりはナルシスト ​「自信がある」と言えば聞こえはいいが、悪く言えば「ナルシスト」だということだ。 いっそ、「インターネットに顔を晒している奴らは、漏れなくナルシストである」と定義を改めてもいい。 YouTubeを見れば、容姿が整っているというだけで初投稿から数十万再生を叩き出す者がいる。 奴らは自分の武器の使い方を熟知している「賢しい連中」だ。 こうした動画は、興味がなくとも「おすすめ」に流れてくる。 「これほど再生されているなら中身も面白いのだろう」と期待して開いてみても、そこにあるのは自慢の容姿を際立たせるアングルだけで、動画の内容は空っぽで何もない。 ​また、よく見かけるのが「うつ病」や「病みがち」といった、こちらの同情や疑心を煽るようなタイトルをつけ、サムネイルに自身のキメ顔を晒している連中だ。 奴らのことは「ビジネス精神弱者」と呼ぶべきだろう。 そもそも、本当にメンタルを病んでいる人間が、不特定多数に自分の顔を晒せるだろうか。 精神的に追い込まれていれば、自分に対して否定的になり、とても顔を出す勇気など湧かないはずだ。 これは私の経験からも断言できる。 むしろ潔く「私の顔、整いすぎじゃない?」とか言っている方が、まだ嫌味がない。 クリックするかと言われれば、私はしないけれど。 3.承認欲求という依存 しか...

なぜ私はダメ人間と名乗るのか

「ダメ人間H」 なぜ私はそう名乗るのか。 長らく人類最大の謎として君臨し続けるその疑問へ、今回は震える手でメスを入れる。 1.名乗る理由 私が「ダメ人間H」と名乗り始めたのは、ブログを開設してから 。 当初は単に「H」と名乗っていたが、それだけでは覚えてもらいにくいと考え、何か付け加えることにした。 「引きこもりH」や「無職H」といった候補も浮かんだが、将来もし状況が変わったときに名前を変更するのは手間だと思った。 「外出ばっかりしてんのに引きこもりっておかしいじゃん」「収入あんのに無職って詐欺じゃん」などと突っ込まれる未来が、見聞色の覇気で見えたので 、未来永劫変えずに済むような二つ名を考えた。 ​そこで行き着いたのが、私を表すのに最もぴったりで、自認とも一致する「ダメ人間」という言葉だった。 実はブログ名も当初は「H」だったが、検索への引っ掛かりにくさを懸念し、馴染みのある自称をそのまま使って「ダメ人間Hのブログ」という安直かつ分かりやすい名前に落ち着いた。 「ダメ人間H」と検索すれば出てくるが、身の程知らずな理想を言えば、Wikipediaの「H」のページの次くらいに私のブログが表示されるようになってほしい。 切にそう願っている。 2.「悲観的」という指摘に対して この名を名乗っていると、配信などで来て早々、人が話している話を聞かずに第一印象(名前の「引きこもり」やサムネイルの「ダメ人間」)だけを見て、初見の野郎やアマどもに「そんなに悲観的になるな」とか、私のことをよく知りもしないくせに「ダメ人間なんかじゃないよ」と言われることがある。 そのたびに私は、「悲観しているわけではありません、これが私なのです」という決まりの定型文を、感情ゼロで口から発する。 ちなみに、こうした初見どもは定型文を聞くと思っていた配信者と違ったのか、すぐにいなくなり二度と私の配信に来ることはない。 ​正直なところ、本人が納得して名乗っているのだから、外からとやかく言われる筋合いはないと思っている。 確かに、ブログの内容は暗い話ばかりなので「悲観的」と捉えられるのも無理はない。 しかし、私を深く知る人なら、これが卑屈になっているわけではなく、ただ「名乗っているだけ」なのだと分かるはず。 私にとってはこれがデフォルトの状態である。 だからこそ「悲観的になるな」と言われても、「どうすればいい...

身長2m欲しい

自分の身長にコンプレックスがあるわけではないが、「身長が2mあったら良いのになぁ」と思うことがある。 私は日本人成人男性の平均身長もない人間だ。 2mあったからといって、何かスポーツをしたいとかそういったことはない。 体や生活に支障が出るとなんとなくわかってはいるが、「身長が高かったら人生楽しそうだな」と表面的な考えがある。 今回は、私 (H) が日頃から感じている「身長についての、本当にどうでもいいお話」を話そうと思います。 1.Hが考える高身長、低身長によるメリット、デメリット Hが考える高身長であるメリット: ・高いところに手が届く。 ・人混みで周りの人より目線が高い。 ・歩いていたら他人が道を開けてくれそう。 ・性格がナヨナヨしていても、体の大きさで(物理的にも)下に見られない。 Hが考える高身長であるデメリット: ・狭い場所へのアクセスの悪さ。 ・何かに頭をぶつけやすくなる。 ・屈むことが多くなり腰を悪くしやすくなる。 ・威圧的に見られる(特に自分なんかはデフォルトが仏頂面なので、もしも体が大きかったらより恐がられるかもしれない) ・衣服の値段が高い。 ・部屋が狭く感じる。 逆に、低身長であるメリット、デメリットについても考えてみた。 Hが考える低身長であるメリット: ・親しみやすく見られる。 ・実年齢より若く見られる。 ・体が軽くて動きやすい。 ・骨折リスク低減。 ・部屋を広く使える。 ・かくれんぼや鬼ごっこにおいて、狭所へのアクセスという戦略的優位性がある。 Hが考える低身長であるデメリット: ・パワー不足。 ・恋愛市場での偏見。 ・高いところに手が届かない。 ・人混みでの見通しの悪さ。 ・見下される(物理的にも) こうして書き出すと、理想は「某少年漫画の主人公」のように、状況に応じて伸び縮みする体なのかもしれない。 元々かなづちの私にとって、海に入れない副作用など影響ないし。 2.残念ながら2mには届きそうにないH 生活態度、食生活、遺伝、これらの現状を見ても身長が2mには届きそうにない。 決まった時間ではなく、寝たいときに寝て、運動はせず、食欲がなければ1日1食、下手したら1日0食。 両親2人とも身長が高くなく、 体に何か異常が起きない限り私の身長が2mに届くことはない。 成長期入り始めの10歳頃に消化器系の病気により食欲が減ったのは悔やまれる。 ...

共感は時に人を傷つける

両親や行政の相談員に自分の現状を話すと、共感されることがある。 しかし、その共感は私にとってマイナスにしか受け入れられない。 今回は、私が感じた「共感」という優しさの裏に潜む、ある種の「凶器性」についてお話ししようと思います。 1.両親、相談員による共感 例えば、視界に黒い点が見えることを話すと、父は「父さんもよく目を瞑るとアメーバみたいなのが見えるよ」と返される。 自分もそれは見えるが、私が言っていることとは違う。 私が言っているのは、ふとした拍子に視界の端の壁に、ハエのような小さな黒い点が見えるが、 瞬きをすると消えること。 母との会話でも 「何に対してもやる気が起きない」と漏らすと、 「お母さんもそういう時あったよ」 と言う。 何に対しても、 「私たちもそういう時あった」 「そのうち変わるよ」 「誰しもそういう考えあるよ」 「同じ同じ」と返される。 これらが優しさからなのか、私の不安を取り除きたい一心なのかはわからない。 けれど、無理に共感して「Hは普通だよ」と思い込ませようとしているように思えてしまう。 行政の相談員との会話も、ただひたすら共感されるだけで1時間が過ぎていく。 三兄との相部屋が辛いと漏らせば、 「一人部屋じゃないとなかなか気が休まらないですよね。Hさん、早く一人部屋になれるといいですね。そうすれば何か良くなるかもしれませんし」と返ってくる。 相談員の態度や口調が高圧的だということは決してないが、 この共感には、「一人部屋になったら、今までの怠け腐った生活をさっさと変えろよ」と脅されている気分になる。 また両親に貸しているお金の話でも 「このままだとご両親は全額返してくれるか分からないんですよね。月にいくらって返済額を決めた方が良いと思うんですよ」と助言される。 これに関しては、「貸しておいてちゃんと返金してもらう手立てを考えていなかったんだね。軽率だね。バカだね」と、自分の行いを貶されているように思えてしまう。 2.普通という枠に囚われる 自分は相手の言葉の裏を考えてしまい、悪いように受け取ってしまう。 だから、共感されることでかえって傷つくのだと思う。 自分としてはどちらかと言えば共感してほしいのではなく、「H、お前は普通じゃない」と認めてほしいのかもしれない。 むしろ自分が普通なら、なぜ働きもせず一日中引きこもっているのか、これのどこが普...

お出掛け日記

イメージ
父から「土曜日、三人で富士山に行こうよ」と誘われた。 Hの両親は、たまに富士山の麓にある「北口本宮冨士浅間神社」とその付近の神社へ参拝に行くことがある。 実は2月の終わりにも誘われていた。 しかしその時は両親が前日に酒を飲みすぎて寝坊をしてしまい、中止になった。 私は夜更かしをして早朝出発するのを待っていたのだが、眠かったので行かなかった。 今回は3月に行きました。 1.多すぎた白米 前日に父から「朝6時に家を出る、家で朝食を食べてから行こう」と言われていたので、当日は朝5時頃に起床し、朝ごはんを食べた。 前日の夕飯の残り物と冷やご飯をレンジで温めて食べた。 しかし、Hが手に取った冷やご飯は量が多かった。 父には「朝からそんなに食べるの?!」と驚かれたが、ご飯に箸をつけてしまったためあとには引けなかった。 我が家では余ったご飯は下の画像のようにタッパに入れて冷蔵庫で保存をしている。 当日はこの画像のタッパに隙間なく詰め込まれていた物を食べた。 これを完食するには時間が足りないと焦りながら、早食いをした。 「ご飯の量が多いので、6時10分出発に変えてください」と父上殿と母上殿に懇願したところ、「ゆっくり食べなさい、焦らなくていいよ」と両親から慈悲を与えられた。 朝食を済ませ、母に「洗い物はお母さんがやっておくからいいよ」と言ってもらい、Hは歯磨きや着替え、水筒の準備等をし、出発に備えた。 しかし、父が朝食をとりだした。 あとから聞いた話だと、「Hが朝からもりもりご飯を食べていて、自分も食べたくなった」らしい。 予定より30分遅れてしまったが、出発をし、目的地へ向かった。 2.膀胱での攻防戦 道中、渋滞に巻き込まれ、高速道路を降りたり、乗ったりした。 Hはトイレ(小)がしたかったが、自分のせいで出発が遅れたと負い目があり、「トイレに行きたい」と言い出せなかった。 父は「トイレ寄るか?」と聞いてくれたが、「目的地までなんとかもつだろう」と軽率な考えをし、Hの膀胱は「弟子やったらパンパンや」状態になっていた。 (膀胱がパンパンなのと膀胱君のHに対する苛立ちがかかっている。かかっているのはションベン(おしっこをかける意味)だけではなくHの尊厳と目的地までもつかというギャンブル的な要素も賭かっている) 道中、父がカーラジオを流しており、い...

ブログ収益化への道②

イメージ
対策をし、待つこと2週間……。 2026年5月5日火曜日、午前8時50分。 起きてすぐ、Gmailを開いた。 同日午前1時28分にGoogle AdSense からメールが届いていた。 内容は三度目AdSense 収益化申請の合否。 三度目のAdSense収益化申請、結果は 不合格 でした。 はい、まただめでした。 全記事1,500文字以上に改訂したのによぉ! 不合格のたびに、メールにこのおっちゃんが表示されるんだけど、名も知らないこの人に嫌悪感を抱き始めています。 なに笑うてんねん。こっちとら笑顔で歯を見せてんちゃうぞ、イライラで歯を食いしばってんだぞ。 ラーメン屋の大将みたいに腕組んでんちゃうぞ。 ワシを怒らせんなよ。 キレても気分落ち込んで寝ることしかできへんのやぞ、ワシは。 1.変わらない不合格理由 不合格理由は一度目、二度目と変わらず……。 有用性の低いコンテンツ お客様のサイトは、弊社の定めるサイト運営者ネットワークのご利用要件を満たしていないと判断されました。詳しくは、以下のリンク先の情報をご参照ください。 ・コンテンツの最小要件 ・独自性のある質の高いコンテンツと優れたユーザー エクスペリエンスをサイトで提供する ・ウェブマスター向けの品質に関するガイドライン(質の低いコンテンツ) ・ウェブマスター向けの品質に関するガイドライン とGoogle AdSense のページに表示されている。 ​今回は上記4つのうち、1つくらいは項目が減っているだろうと期待していましたが、無情にも現状維持でした。 2.不合格理由の詳細を再確認してみた 次回に向けて、改めて 詳細読み直してみました。 ・コンテンツの最小要件 噛み砕くと「著作権侵害、差別、アダルト、残虐、欺瞞、不正行為を助長する内容はNG」ということ。 これらに当たるような内容は「ダメ人間Hのブログ」には掲載していないと自信があります。 冗談混じりの記事はあるけど、それは明らかに「ジョークコンテンツ」とわかると思うんだけど、もしかしたらこれもダメなのかな? ・独自性のある質の高いコンテンツと優れたユーザー エクスペリエンスをサイトで提供する これは「内容に独自性があり、重複がなく、ユーザー(読者)がサイトを使いやすく、読みやすいか」ってことみたいです。 前回の対策で、目次と見出しに改行...