青春コンプレックス、失われた時間による呪縛
青春コンプレックスとは
自分が経験できなかった「学生時代の青春」を、他の者が享受していることに対して抱く劣等感。
今回は、ここ数年で私の中に芽生え始めた負の感情、「青春コンプレックス」についてお話ししようと思います。
1.不登校の経験が生んだ、数年越しのデバフ
私にとってのこの感情の根源は「もし不登校にならなければ、今の暗い自分にならずに済んだのに」という、終わりのない後悔にある。
学生たちは何も悪くはない。
彼らはただ、今という時間を謳歌しているだけだ。
それなのに、「その青春を私も経験できたかもしれない」と、今さらどうしようもない仮定を、呪文のように繰り返してしまう。
現実だけではなく、学園を舞台にしたフィクション作品に対しても、青春コンプレックスを感じてしまう。
「面白そうだな」と興味を持って見始めても、結局はキャラクターたちの眩しさと自分との差に打ちのめされるだけ。
誰かに感想を求められても、作品の良し悪しではなく、自分の内側に湧き出たドロドロとした愚痴しか出てこない。
フィクションだと分かっていても、「こんなクラスメイトがいるなら、俺も不登校にならず学校行ってたよ」と、虚しい独り言のような愚痴をこぼしてしまう。
2.対処法のない苦しさ
現状を変えようと、1カ月ほど週に一度の散歩を試みたことがあった。
しかし、下校中の学生たちが楽しげに話す姿や、風に乗って聞こえる部活動の音が、自分の過去を思い出させ、悲しくなってしまう。
結局、その辛さに耐えきれず、散歩をやめてしまった。
平日に外を出歩けば、嫌でも学生の姿が目に入る。
この先、学生を見たときに生じるこの青春コンプレックスへの対処法を見つけられない限り、外に出ること自体がさらに億劫になっていくだろう。
もう不登校だった6年間は、帰ってこない。
自立した生活を送れるようになれば、このコンプレックスは消えるのかもしれない。
しかし、今は何に対しても気力が湧かず、将来を考えても不安や悲観的な考えしか頭に湧かず、嫌になってしまう。
「気づいた時には、数年経っているかもしれない」
そう考えると、より不安や恐怖が心の底から滲み出て、何も考えたくなくなり、思考を停止させたくなってしまう。
3.「青春」という名の幻想
私は青春をほとんど経験していないからこそ、それを「苦痛のない楽園」のようなものだと幻想を抱いているのかもしれない。
他人の学生時代の話で、「ずっとひとりぼっちだった」「人と馴染めなかった」「勉強についていけなかった」というのを聞いたことがある。
青春とは、私が想像するような眩いものではなく、人によっては辛く、地獄のように感じるものなのかもしれない。
私は青春に対して、過度な幻想を抱いているのかもしれない。実際はどうだったのか、今となっては確かめようがないが。
4.問題に向き合えない
「今の引きこもり生活を脱したい」という願いはある。
けれど、それ以上に何もする気が起きない。
心のどこかで「このままなるようになればいい」と、自分の人生を他人事のように放り投げている自分もいる。
こうした思考が頭を駆け巡り、対処法を模索する段階まで至らないのだ。
そもそも、今の私には「対処法」を考えるエネルギーすら残っていない。
何かを考えようとしても、「結局、何をしても無駄だ。めんどくさい、もう人生を終わりにしてしまいたい」という極端な結論が、すべての思考を塗りつぶしてしまう。
理想を言えば、周りのことなどどうでもよくなるほど熱中できる何かがあればいいのだろう。
そうすれば、コンプレックスを反芻するために浪費している「脳のメモリ」を、別のことに割けるはずだ。
しかし、そんな熱中できるものを探しに行くだけの気力さえ、今の私にはない。
5.おわりに
自分は「デバフ(負の要因)」が多い気がする。
・青春コンプレックス
・希死念慮
・物事に対しての不安
探せばもっと出てくるかもしれない。
けれど、見つけたところでそれらの対処法が自分の中にないため、ただ悲観的になり、気を病んで終わりなので探さないでおこう。
正直、「気力がない」と言っているが、これはただの言い訳なのかもしれない。何かに挑戦することを恐れて、スタート位置に立つ前に言い訳を探して、殻にこもることを選択している。
今の自分は逃げることが普通になっていると書いていて思いました。
今の自分にできることはやり場のない感情をこうしてブログに吐くしか思い付かない。
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