不登校(小学生編)
私は逆流性食道炎になってから6年ほど不登校でした。
今回は、始めの約2年間についてお話しをしようと思います。
病気になるまでは「学校に行きたくない」といった気持ちはなかった。
勉強は嫌いだったが、図工や体育のように好きな科目もあった。
友達もいた、人間関係に問題もなかった。
しかし、病気をきっかけに父と祖母(父方)に対する嫌悪感が生まれ、さらに担任教師S.Kとの不和が重なり、人間関係にも悩むことにもなりました。
1.ダメ人間の兆し
病気になり体調が悪くて登校出来ないときもあったが、毎日ではなかった。
週に2日、痛み止を飲めば登校出来そうな日はあった。
だか、休めばゲームができると馬鹿げた考えが自分にはあった。
5日間は体調が悪くて寝込み、2日間は寝込むほどではなくとも休み、勉強などせず、ゲームばかりしていた。
そんな生活を1週間もすれば学校に行きづらくなっていた。
「明日は登校しよう」そう思っても、当日になり「明日でいいや」と先延ばしにする。
気が付けば、1カ月が経っていた。
学校は転校していないが、小学4年生の時に引っ越しをし、登校距離が550mから1.6kmに増えたことも休みたい理由の一つになっていた。
2.父、祖母(父方)への嫌悪感
不登校になってから、毎日夕食時に父と祖母(父方)に「何で学校に行かないんだ!」「早く学校に行け!」「サボるな!」等、言われたことをよく覚えている。
また父が酔った時、
私に「何で学校に行かないんだ」
H「わからない」
父「考えることができないならシネ」
と言われたこともあった。
こういったことから、今も父に対し少し嫌悪感がある。
カウンセリングなどに通うようになってからは、父が私に刺々しい言葉を言うことはなくなった。
おそらく、カウンセラーや医師から、父へ「攻撃的な言葉は控えるように」と言われたのだろうか。
国立の総合小児病院でのカウンセリングは、まず医師と私で1対1で話し、その後に両親と医師が話す形式だった。
両親が話している間、私は待合室で待機のため両親と医師の会話はわからない。
3.疎ましい人間 S.K
小学5、6年生の時の担任の先生S.Kが私の嫌いなタイプの人間だったのも行きたくない理由の一つだった。
覚えているのが放課後、母に学校に連れて行ってもらい、できる範囲でやった算数ドリルや漢字ドリルを担任の先生に見てもらった。
その時、S.Kに「Hさんここ間違ってます。書き直して」と言われた。
私は筆記用具を家に忘れたため「先生、筆記用具貸してください」とお願いした。
すると、S.Kは「筆記用具も持ってこないで学校に何しに来てるの…」と小声で返した。
自分は「すみません」と謝ることしかできなかった。
その間、母は廊下の教室側の壁に張られているクラスメイトの習字だか作文だかを見ていた。
その為、母にはS.Kの小言は聞こえていなかった。
その後も放課後に行くことがあったのだが、母には聞こえないよう、S.Kに小言を言われることが多かった。
S.Kの言い方も嫌いだった。
教室内に私とS.Kしかいない時はわざわざ母に届かないよう、私にしか聞こえないように嫌味ったらしく言う。
文面だと伝わりづらいが、母が横にいる時も「次は授業に出られると良いですね」とつっけんどんな言い方をされたこともあった。
こんなタイプの人間が担任の先生だとより学校に行きたくなくなった。
父親に何かしら言われる恐怖心があったため、両親には担任の先生が苦手だから行きたくないとは言えなかった。
4.解き放たれた鬱積
卒業式の1週間前、母に「卒業式出ないの?」と聞かれ、ポロっと「先生が苦手だから行きたくない」と口から出た。
この時になってやっと親に担任S.Kが嫌いだと言えた。
今までS.Kにされてきて嫌だったことを母に話し、母から「あと1週間で卒業なんだから、先生におもいきってされて嫌だったことを話してみたら、モヤモヤが残ったまま卒業したくないでしょ」と言われた。
卒業式の3日前に母と二人で放課後、学校に行き、教室に向かうとS.Kが何か作業をしていた。
私はS.Kが嫌いなので話しかけづらかった。
母が「先生、こんにちは」と話しかけ、私たちに気づいた。
S.Kは作業を止めず、こちらに顔を向けないまま「Hさん卒業式出るんですか?」と言った。
私は「体調次第なので当日にならないとわかりません」と答えた。
するとS.Kは「じゃあ出ないってことでいいですね」とお得意の嫌味ったらしいつっけんどんな物言いをしてきた。
私も決めつけられたのが頭にきて
H「だから当日にならないとわからねぇって言ってんだろ!」と声を荒らげた。
母が私に平手打ちをして怒鳴る。
母「H!先生に向かってなんて口を利いているの!」
私は泣いた。
母が怒鳴ったことに焦ったのか、私が泣き出したことに焦ったのか、S.Kが作業を止め、私たちの目の前に来て話を聞き始めた。
母が色々説明しだす。
母「Hは起立性調節障害があるので朝が苦手なんですよ。だから当日にならないと行けるかどうかわからないんです」
S.K「あぁ…そうなんですねぇ」
親には教師らしく話し、私には高圧的に話すのだなと思った。
S.Kが私に「じゃあ当日、頑張って来なよ」と
私はその言葉にとても腹が立った。
私としては嫌なやつがいる学校に行くということだけでも苦労があるのに、S.Kの言葉は私の苦労を蔑ろにした発言だった。
私はどうなってもいいと思いをぶちまけた。
H「お前がいなければもっと学校に来れたんだよ!」
この時、母にまた平手打ちをされた。
私はトイレの個室に駆け込み、一人泣いていた。
この間、母が私がS.Kのことを苦手だったことなどを話していた。
母が「H、先生に謝ろう」とトイレに来た。
S.Kは私が嫌っていたことを知って泣いていた。
私は泣きながらS.Kに謝った。
5.悲しき晴れ舞台、未来への不安
次の日、卒業式の段取りを私は知らないため
両親と学校に行き、S.Kと隣のクラスの担任の先生と体育館で練習をした。
S.Kは私に気を遣ったのか話しかけてこない。
私は隣のクラスの担任の先生に卒業式当日の説明をされ、練習を終えた。
卒業式当日、私は出なかった。
卒業式が終わってから学校に行き、他の卒業式不参加の卒業生と一緒に校長から卒業証書を受け取った。
その後、母は不参加の卒業生の母親同士で話をし、S.Kは私以外の不参加の卒業生と話していた。
私はとにかくS.Kと話したくなかったので一人、紅白幕の端に書かれた名入れを見ていた。
この日はS.Kと一言も話さなかった。
何人かの先生が「卒業おめでとう」と声をかけてくれたが、卒業したことよりも、S.Kともう二度と会わなくて済むことの方が嬉しかった。
中学生になることへの不安もあった。
中学へ上がっても不登校のままなのか、どうすれば学校へ行こうと思えるのか、また担任が苦手なタイプだったらどうしようと考えれば考えるほど不安になっていた。
Hは苦悩を抱えたまま中学生へ
6.おわりに
小学5、6年生の思い出が暗いものしか無いわけではなく、5年生の時は移動教室に参加したり、6年生の時は最後のクラブ活動に出たりなど良い思い出はあります。
ただ、良い思い出が少ないのは確かです。
楽しいこともあったんだろうけど今となっては嫌な事ばかり思い出す。悲しい…
S.Kに対しては中学2年生位まで恨んでました。
(書いていて今でも少し恨みが募ってきた)
未だにある父に対しての嫌悪感やS.Kに対しての鬱憤はまた別のタイトルで書こうと思います。
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