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映画から生じた被害妄想

Hが高校1年生の頃、YouTubeで映画「トゥルーマン・ショー」のファスト映画と呼ばれる動画を観た。 映画の内容は、主人公トゥルーマンの生活を彼に気づかれないように24時間監視して撮影し、それをリアリティ番組として全世界に放送しているという話。 この映画に「面白そうだな~」と興味を持ち、いつかファスト映画でなくちゃんと観たいと思っていた。 家族の契約でNetflixを見れるようになってすぐに観た。 とても面白い作品だった。 今回話すのは映画「トゥルーマン・ショー」についての感想ではなく、この映画を視聴したことによりHも主人公トゥルーマンのように監視されているのではないかと被害妄想を抱くようになったことについて話そうと思う。 この映画を観るまでは、自分の人生が仕組まれているなんて考えたこともなかった。 しかし、自分の人生を振り返ると、 「できすぎていないか?」と思うことがある。 短期間に2回もノロウイルスに罹ったこと 担任教師、父、祖母(父方)による精神攻撃 自分の希死念慮に対する家族の反応など 今までのこと全て仕組まれていることなんじゃないかと妄想するようになった。 自分を社会不適合者に仕立て上げ、もがき続けている様子を撮影し、自分の知らないところで放送している。 そういう妄想を抱くようになった。 どうせ撮るなら、自分みたいな暗いやつよりも、もっと楽しそうなやつを撮った方が良いと思うが、人が苦しんでいる姿を観たい悪魔のような奴らが私を観て楽しんでいると、自分に都合の良い妄想をしてしまう。 一度この妄想を母に話したことがあったが、母に「そんなくだらないことで考えないで」と煙たがられた。 至って普通の反応だと思うが、これも母が製作陣から「話し相手にならず、うまくごまかせと」指示されたのではないかと勘ぐってしまう。 自分以外の人々の耳の中には小さなイヤホンの様なものが入っており、製作陣からの指示が聞こえるようなっていると私は考えている。 この考えがあるため、この妄想を他の人に話すの難しい。(うまく言いくるめられてしまうと考えがあるため) 自分が家族だと思っている人々や、自分がいるこの世界の人間は、全て演者だと思っている。 もしくは全員ロボット そう考えると、病気に罹りたてのころに外に出たとき感じた、すれ違う人々の視線にも説明が付く。 (奴らの身に着けている何かが、カメラの...

ショート動画に騙される

1日のほとんどをYouTubeを見て過ごしているH。 基本的には、自分が見たいチャンネルの動画が更新されるとそれを見ている。 動画の更新は大抵1日1本。 暇だが何もしたくない私は、 暇をつぶすために全く興味が湧かない動画を見たりもする。 その興味のない一つがショート動画だ。 海外のショート動画を翻訳してツッコミを入れたりした動画や動物系の動画など、いろいろなものがおすすめに表示される。 そのショート動画には、嘘情報や複数の動画をつなげて感動的にしたものなどがある。 私が見たことあるのでは「オスライオンが自分の死期を悟ると自ら墓穴を掘る」という、実際には狩りをしている様子を部分的に切り取って、嘘タイトルをつけたお涙頂戴的な動画や、動物を保護しその後の様子をまとめた動画など。 動物保護系の動画は、保護した時とその後の個体が全く違うものや、飼い主が別人のものなど、別々の似たような内容の動画をつなげて、字幕でよかったね的な内容に仕立て上げた嘘っぱち動画であった。 ネットの情報はすべて信じるのは良くないとはわかってはいる。 しかし、興味がある分野の動画ならそれが嘘か本当かわかるのだが、興味がなく暇潰しに見ていたものが嘘か本当かわざわざ調べようとはまず思わない。 自分としては嘘動画を見ても特に損はしないので良いのだが、ショート動画に対して少し嫌悪感を持つようになった。 最近では生成AIを使った嘘っぱち動画も存在する。 「夜中に野生の動物が庭に置いておいたトランポリンで遊んでいる様子を監視カメラで捉えた」という動画を見た。 私は初見で生成AI動画だと見抜けなかった。 人生で役に立たなそうな嘘情報を扱った動画ならまだ良いが、嘘情報で人の気持ちを煽るような動画が今後出てくるかもしれないと思うと、娯楽である動画視聴が気軽に楽しめなくなるのではないかと考えすぎてしまう。 気軽に見れるものが、いちいちファクトチェックなどをしないと真に楽しめなくなる。 いくら暇人だといえど、そんなことをわざわざしたくはない。 そもそも、興味がない分野だし… ショート動画は鵜呑みにせず、左から右に流すように頭に入れずに見るのが良いのかもしれない。 気を付けてショート動画を見よう。

引きこもりになったわけ

私が引きこもりになった原因は病気だが、そこからより引きこもるようになったことがある。 それは他人の視線である。 病気になってからは体調が悪くて寝て過ごす日々を送るようになり、外に出ず太陽光を浴びなくなり、気づけば肌が白くなっていた。 たまに外に出たとき、すれちがう人の視線を感じることがあった。 彼らは私の肌が白いから見てくると思っていた。 その視線が怖くなり、より引きこもるようになった。 それでもお墓参りなどの家族行事で外に出ることがあった。 そういった時は、家族の背中に隠れながら歩いていた。 しかし、見てくる人が自分に何か言ってくることはないとわかってからは気にしないようにした。 むしろ見られたら睨み返すようにした。 奴らは睨み返すと目線を逸らす。 そのたびに「フン!!オレの勝ちだ!」とゲーム感覚で考えるようになり、家族の背中に隠れながら歩くことは減った。 また「俺がこの世界の主人公だぁ!」と厨二病みたいな考えを持つようになってから、外出への恐怖心は少し減った。 今は外への恐怖心よりも、外に出る目的がないため、めったに外出しない。 正直、外出するのがめんどくさいっていうのもある。 青春コンプレックスとかもあるしね…

青春コンプレックス

青春コンプレックスとは? 自分が経験できなかった学生時代の青春を他の人が経験していることに対する劣等感など… 自分の場合「不登校にならなければ今の暗い自分にならなくてすんだのに」と後悔してしまう。 学生を見ると、自分の過去を思い出し悲観的になることがある。 学生自体は何も悪くはない。 ただ、学生たちは青春を謳歌しているだけだが、その青春を私も経験できたのかもしれないと考えてしまう。 現実だけではなく、学生物の創作物にも少し青春コンプレックスを感じてしまう。 フィクションだと分かっていても「こんなクラスメイトがいるなら、俺も不登校にならず学校行ってたよ」などと愚痴をこぼしてしまう。 1カ月ほど週に1回散歩をしていたが、下校中の学生を見て自分の過去を思い出し、悲しくなってしまうことがあった。 その青春コンプレックスに耐えれなくて、散歩をしなくなってしまった。 散歩に限らず、平日外に出れば学生を見ることが多い。 この先学生を見たときに生じるこの青春コンプレックスに対処できないと、外に出ることがより億劫になってしまう。 もう不登校だった6年間は帰ってこない。 自立した生活を送れるようになれば、青春コンプレックスはなくなるのかもしれない。 気力がないことや未来への不安などがあるため、自立した生活を送れるようになるのはいつになるかはわからない。 気づいた時には数年経っているかもしれない。 現状、この引きこもり生活を脱したいと思いつつも何もする気が起きない。 どこか「このままなるようになれ」と思っている自分もいる。 先のことを考えると嫌になるためさっさと終わってほしいと考えてしまう。 自分はデバフが多い気がする。 青春コンプレックス 希死念慮 不安になりがち… 探せばもっと出てくるかもしれないが、見つけたところでそれらの対処法が自分の中にないため、ただ悲観的になり気を病んで終わりなので探さないでおこう。

散歩

2025年4月 配信中に「桜を見に散歩してみたら」とコメントをもらった。 気力もあり、配信で話すネタにもなると思い、散歩をしに外へ出た。 引きこもりになってからも、年に数回は散歩に出かけることがあった。 元々歩くのは好きだったが、散歩をしていると、話し相手が欲しくなったり、お店を見ると 「お金があれば入って何か買えるのに」と思ってしまい、自分の現状を考えて暗い気持ちになってしまうことがあった。 それから散歩への意欲がなくなった。 太陽光を浴びるとセロトニンが分泌され、気力が出るとネットで見たので、なにもする気がないのは引きこもっているからだと思った。 それに、ここ数年桜を見ることもなかったため外へ出る気にもなった。 桜自体には特に思い入れはない。 むしろ、別れや出会いの季節というイメージがあり、悲観的になってしまう。 別れも出会いも経験せず不登校だった暗い過去を思い出して、気が病んでしまう。 それでも、このまま引きこもっていても何も変わらないと思い、散歩なら気楽に行けると思って、 水筒とスマホを持って散歩に出かけた。 引っ越す前の家の近くの川沿いに桜の木がたくさんあることを思い出し、そこに向かって歩きだした。 道中、自販機を見かけると、缶ジュース一本の値段が小学生の頃より20円ほど上がっていた。 美味しそうな飲み物があっても「自分は無収入だから、お金を使っても減るだけだし、水でいいや」と水筒の水を飲み歩き続けた。 目的の川沿いに着き、桜を見て「綺麗だけど、やっぱりなんか悲しくなる」と思いながらも配信のサムネイルに使うための写真を撮った。 川の水面には桜の花びらが絨毯のように流れていた。 綺麗だった。 この美しい景色を一緒に見て話せる人がいたら良いのにと、また悲しくなった。 それから少し遠回りをして、小学生の低学年時代に住んでいた家を見に行った。 私たち家族が住んでいた家はなく、綺麗なアパートが建っていた。 三兄とキャッチボールをした家の前の通り道が、自分が思っていたよりも幅が狭かった。 道幅が狭くなったわけではなく、自分がそれだけ成長したんだと実感した。 体が大きくなっても、中身はあの頃よりも暗くなった。 成長はしたが、より良い方に進んでいるとは思えない。 悲しくなった。 悲しくなっても仕方がないし、目的の桜を見ることはできたから、家に帰ってお風呂に入って汗を流そう...

イベント事が嫌い

私は季節ごとのイベントや自分の誕生日が嫌いです。 普段、現実逃避しているのに、イベントにより時の流れを思い知らされる。 そのたびに「もうそんな季節か…自分は何やってんだろ…」「この先ずっとこのままなのか…」 「どうすんだ…自分」と不安や焦りが心の底から滲み出てくる。 そして嫌になり、ただひたすら眠り続ける。 クリスマスやハロウィンは日本の文化じゃないから、要らないだろうと思う。 ただ、ケーキやチキンを食べて、子供たちは欲しいものを貰い喜ぶ。 私もクリスマスプレゼントを貰える歳までは嬉しいイベントだった。(我が家ではハロウィンは何もなかった) しかし、引きこもりになってからは、不安や焦りといった嫌な気持ちを引き起こす原因になった。 企業などが自社製品を売りたいがために、何もない日をイベント日にし、ガッポガッポ稼いでるとひねくれた考えを持つようにもなった。 誕生日は希死念慮が湧き出てからは「生まれて何年経ったってのが嬉しいのか?」「さっさと終わりにしたい」と思うようになり、何が良くて祝うのかわからなくなった。 現状にもがき続けている自分としては「あなたは1年間また変わらず引きこもっていた」と明示された気持ちになる。 自分の誕生日を嬉しく思えないため、自分以外の人の誕生日にもなんとも思えなくなっている。 イベントや行事などは、私みたいにひねくれた考えを持って嫌悪感を示すのではなく、ただその時を純粋に楽しめる方が人生を楽しく過ごせると時折思う。 暗い考え方を持つと、楽しいこともつまらなくしてしまうと思いました。 明るい考え方を持てると良いよね。

音楽(EDM編)

Electronic Dance Music ( EDM とは? ) この音楽ジャンルのおかげでHは音楽を聴くようになった。 今回はHがEDMと出会ったきっかけを書いていこうと思う 中学生になってスマホを買ってもらい、YouTubeで時間をつぶす日々を送っていた。 適当に動画を見ていたら、おすすめ欄に数億再生されている英語のタイトルがついたよくわからない動画が表示されて、気になってそれをタップした。 Music Videoと書かれていたので、音楽とわかった。 覚えていないが、この時聴いたのは多分ShowtekのBooyahだったと思う。 この時に聴いた音楽を配信していたチャンネルがSpinnin' Recordsだった。 それからSpinnin' Recordsで人気の曲をいろいろ聴き始めた。 いろんな人気曲を聴いていると、Music Videoに出てくる一人の外国人が気になった。 H「さっきの曲でもこの人出てきたけど誰なんだ?」 気になったHは、タイトルに書かれている英語を一文字ずつ見ながら入力し検索した。 Martin Garrixと検索して、彼が音楽プロデューサーだと知った。 その時見ながら検索した曲がDimitri Vegas, Martin Garrix, Like Mike - Tremor だった。 Martin Garrixを検索した後、Dimitri Vegas & Like Mikeを検索した。 その時、彼らのチャンネルに Bringing The Madness 2016 (以下BTM 2016と省略します。)がアップされていた。 2時間30分にも及ぶ長い動画を視聴し、DJと観客の一体感や熱気、そしてあるMashupを気に入る。  Mashup とは? 1時間36分44秒からの Swedish House Mafia vs. Alesso & OneRepublic vs. 3 Are Legend - Don't You Worry Child vs. If I Lose Myself vs. We Are Legend (Dimitri Vegas & Like Mike Mashup)  このMashup のおかげで、私、HはEDM系の曲が好きになっていった。 YouTube(アーティスト公...